1/12.徳島編_遍路7日目

1/12.徳島編_遍路7日目

51.鶴のお出迎え

7時35分、金子やを1人で出発。
前日に20番鶴林寺に間違えて向かったこともあり、
道を間違えない自信はあって、ぐんぐん進む。
しかし、私の歩いた道は遍路道ではなく車道。
それを知ったのは鶴林寺についてからだった。

9時5分、鶴林寺の駐車場に到着。
荘厳な寺だ。鬱蒼と茂る木々の中に佇む。
仁王門から真っ直ぐ進むと大師堂と納経所に出た。

普通なら納経だけ済ませて次の寺に向かう所だが、
調子がよく、加えて気持ちのよい寺だったこともあり、
せっかくだから本堂にお参りしようと、探す。
どうやら石段の上に本堂があるようだ。
“辛いからパス”って通り過ぎた石段だった。

毎日歩いても足は慣れない。
麻痺したような、痛痒さが足全体にあった。
一歩一歩を確認するように石段を登る。
鶴の像が2羽、出迎えてくれた。
寺の雰囲気と像がミスマッチな感じがし、顔が緩む。
当り障りのない像だが、在ることにユーモアを感じた。

寺での置き引きを聞いていたので、決めたこと。
“荷物を降ろすのはお参りと納経の時だけ”
本堂前でようやく荷物を降ろし、蝋燭と線香を灯す。
持っていた般若心経も開いたが、すぐ閉じた。
どう読むのか見当がつかず躊躇したから。

再び荷物を背負い、石段の下、納経所へ下りる。
『ようやく来たね。お姉ちゃんが歩いてるの見たで』
納経所の方がそう言って出迎えてくれた。
丁度、出勤時間に私が車道を歩いていたので、
車から見ていたとか。声もかけようとしたらしかった。

52.昨日の失敗、今日の余裕

『遍路道じゃなく車道歩いてたからなぁ』と納経の人。
車道より遍路道の方が歩く距離が短く済む。
だから遍路道を教えようとしたそうだが、止した。

夏場だと蛇を避けて車道をあえて通る人もいる。
過去に何度か車道を通るお遍路さんに声をかけ、
遍路道を教えた所、そうした返答を度々受けた。

私も何か理由があって車道を歩いているのだろう、
そう納経所の方は納得されたらしい。

『えー!遍路道あったんですか!?うわぁ・・・』
今日は道を間違えないぞ、そう決めていたのに。
注意深く道を歩いていたつもりだったが、
気持ちは緩んでたみたい。力みすぎて裏目に出た?
自分の空回り具合に、溜息より笑いが出た。

話を聞けば、金子やのすぐ先にある遍路の矢印に、
車用の大きな案内の下、歩き用の矢印があるそうだ。
小さな案内なので、見落とす人は多いという。

『車道歩いてるって教えてくれたら良かったのにー』
と軽くすねた調子で納経の人に不満をぶつけると、
『道を間違えていたわけじゃないから』と笑われた。
遠回りしたものの鶴林寺には無事着いた。
『確かにちゃんと寺には着いてる』私もつられて笑う。

気分は清々しかった。
前日の、道を間違えた失敗で落ち込まず、
昨日の時点で失敗の帳尻を合わせられたことが、
自分に余裕を生む。目に留まる景色の全てが、
この日は美しく感動的に感じられた。

53.石段だるい

21番太龍寺への遍路道は鶴林寺の境内から始まる。
急な下り坂を前にし、ふと忘れ物に気付く。
“杖がない!”鶴林寺に着いたときは確かにあった。

“どこに置いたっけ・・・”思い浮かんだのは本堂。
荷物を降ろしたときに、杖を杖立てに置いたのだ。
“うげ。あの石段の上か、、”ちょっとブルー。
“まぁ、境内にいるうちに気付いただけマシか~”

自分に余裕があると、くだらないことが次々浮かぶ。
“もしかして、石段登るのダルいって言った天罰?”
“だから2度も石段歩かされるのかなぁ”
“ご本尊様に手を合わせたのに~”
“あぁ・・・で、境内にいる内に忘れ物思い出したのか”

つまりこういう事。
『石段登るのダルイ』と愚痴る私に、
石段の上にいた本尊が気を悪くし、懲らしめようと、
私を本堂に呼び、何か忘れ物をするようした。

本当は寺から遠く離れた時点で、
忘れ物をしたと気付かせる予定だったが、
本尊に手を合わせたご利益として、境内にいる間に、
私が忘れ物したと気付かせてくれた。

うーん、悪鬼の悪ふざけで忘れ物させられて、
本尊を拝んだご利益として、本尊が助けてくれた。
こっちの方がしっくりくる?

偶然の出来事も勝手な想像で脚色する。
単なる忘れ物の話が、仏の天罰とご利益の話に。
些細なミスもこうして自分に言い聞かせると楽しい。

54.水底透ける青

杖を手に、鶴林寺を後にする。
遍路道を下りきると那賀川に出た。
立ち止まって見入る。青く澄んだ美しい川。
この川の色は何色だろう?つい考える。

半年前の夏から、公民館の成人学校の講座、
水彩画教室に通い始めた。親友の影響だ。
『水彩画たのしい?』『たのしいよ』『あたしもやる』
楽しそうな親友を見て私もうずうず。軽いノリで始めた。

私と親友以外の生徒は年金生活者ばっか。
世代格差が干渉を躊躇?ありがちな詮索もされず、
気付けばクラスの一員として溶け込んでいた。
携帯番号とメアド交換のないスタートは気がラク。
年配のクラスメートとの距離感は居心地よかった。

絵を描くのは好き。だけど下手。
感動を伝えたくて筆を取っても、すぐ嫌気が差す。
自分の技量のなさに、実物と絵を見比べ溜め息。
それでも講師のO先生は絵を誉めてくれた。
親友が水彩画をたのしいと言った理由、わかった。

80過ぎたおじいちゃん先生の人柄を皆慕っている。
講座に通う顔ぶれは毎年変わらぬそう。
受講料の安さもありO先生を侮ったが本職の画家。
オチャメでオシャレ。私と親友を『チビ達』と呼ぶ。
同じ目線で話せるO先生は、私達も大好きだ。

O先生の教育方針は実に明瞭。生徒に合わせる。
友人同士でも私と親友の絵のスタイルは全く違う。
親友は写実的、私は抽象的な絵を描く。
同じ対象を描いてもO先生のアドバイスは違った。
『形は気にしなくていい。ただ色はよく見てごらん』

那賀川の色。水底が透ける緑がかった青。
白いキャンパスに水底の土と砂利を着色、
その上からビリジャンの明るい青緑を重ね塗り?
那賀川にかかる橋は幅が狭い。
正面からトラックが来て、ぎりぎり真横を通り過ぎた。
トラックの振動で橋が揺れる。のどかだなって思う。

55.無色無形の風も

10時20分、那賀川を通り過ぎる。
21番太龍寺にはロープウェイもあるが、
私は迷わず遍路道を選択した。

しばらく小川に並行した整備された遊歩道を歩く。
遍路とは違う、観光客とよくすれ違う。
この日、1月12日は太龍寺の本尊初会式だった。
本尊の御開帳。だから人とよく出くわしたのだろう。

12時丁度、21番太龍寺に到着。
境内は人だらけ。見ているだけで疲れる。
本堂も人でごった返し。見えないだけで、
いろんな願いも忙しく行き交ってるのだろう。

“こんなにたくさんの人が拝むんだもの、”
“私が拝む必要はなさそう。”
本堂の階段を登りかけて、踵を返す。
軽い人酔いに、隅にあったベンチで休憩。
白装束の団体が目に付く。白さが目に痛い。
白すぎる装束には生活臭は全く感じられない。

陽射しが強く、日向と日陰のコントラストがくっきり。
地面に映る木漏れ日が風に揺れる。そして気付く。
もし皮膚に触覚がなくなり風を感じられなくなっても、
目の視覚を通じて風の存在はわかるなぁ、って。

無色無形の風ですら、その存在を見て認知できる。
人の心も同じ。無色無形でもわかるものじゃないか?
古くは死出の旅であった四国遍路。
旅立ちにあたり、白装束にひとたび袖を通せば、
それは家に戻れない覚悟を意味していたはずだ。

現代、交通手段も治安も整った中での遍路。
潤沢な資金も情報も、必要であれば用意できる。
死の覚悟で臨んだ先人が詣でた本尊、お大師様に、
同じ場所に同じ格好で参拝する現代の遍路だが、
私の目には両者がイコールになることはなく、
私は余計に白装束を着ることに抵抗を覚える。

—–
ご開帳とは
普段は参拝者の目に付かぬよう隠されている秘仏を、一定期間だけ公開すること。

56.遍路データ

太龍寺からの去り際に、写真を撮ってもらう。
趣味でたまに風景を写しに来るYさん。
『出来上がった写真は後から送りますね』
お遍路さんに、よく写真のお接待をするそうだ。

デジカメは持って行ったがあまり使わなかった。
遍路中の自分が写る写真はYさんの写真だけ。
疲労によるダラケもあったが、ある目的以外に、
写真を撮る必要性を全く感じなかった。

これは日記についても言える。
どこに何時に到着したか、時刻のメモはとったが、
その他の雑多な出来事は遍路中に記録していない。

忘れてしまう出来事は自分にとって些細な出来事。
残ったものが実際に得て、自分の血肉になったもの。
人に見せる旅じゃなく自分のための旅だったから、
途中から旅のメモをとる作業はしなくなった。

ある目的。
この、歩きの別格を含む遍路サイトを作る計画。
八十八ヶ所の歩きの遍路データを扱うサイトは多い。
どの寺に何時に到着したかの記録も掲載されてる。
でも、別格を含んだ百八ヶ所の歩き遍路データは、
検索してもその時は見つからなかった。だから。

実際に遍路に来て歩いてみると、
調べたデータが自分のペースと噛みあわない。
計算外の疲労、足の痛み、思わぬ時間のロス・・・
データを元に一週間分の遍路予定を作成したが、
3日目以降から意味のないものになってしまった。

私も最初欲しかった百八ヶ所の時間データ。
わずかでも、参考になったという声を聞くと嬉しい。
しかし四国へ旅立てばデータは関係なくなるはず。
自分の足と手、頭、口、目、鼻に耳などなど、
全部をフル活用して一生懸命に歩く自分に、
逞しさと生の実感が湧き、アバウトさが良くなるのだ。

57.厳しい目をしてる人

太龍寺から22番平等寺に向かって山を下る。
下の駐車場から家族連れやカップルなどなど、
賑やかな集団が次々と寺を目指して登っていく。

私は1人とぼとぼ。てくてく。
寂しいわけじゃないけど、虚しくなる。
すれ違い際に聞こえる笑い声、他愛のない会話。
彼らの世界に私は存在しない。それはいいこと。
どうせなら空気のように目立たずいたいもの。

だから、
彼らが投げる好奇な視線は面白くない。

あからさまに視線をぶつける人、興味ありありの目。
目が合えば逸らす人、探る上目遣い、戸惑いの目。
本人達は意識してないだろうけど、
一方的な感情の垂れ流しは見ていて鬱陶しい。

言葉以上に多弁なボディランゲージ。
コミュニケーションにおける約55%が、
この非言語による意思疎通と一説に言われる。
対して、意思伝達に重視されがちな言葉は約7%。
目は口ほどに物を言う。ほんと、そう。
そして当人はほぼ、無自覚だから手に負えない。

賑やかな集団と次々にすれ違う。挨拶はなし。
能弁な視線を尻目に、無表情に徹する。
“何にも見えない。感じない。わからない。”
そう自分に言い聞かせる。
でも、いつもの疑問がむくむくと湧いてきた。
“あたし、なにやってるんだろう・・・”、虚しい。

そんなときだった。
逆打ち?のお遍路さんが前方に見えた。
白髪が混じった、年代でいったら壮年の男性。
白衣に身を固めた自転車さんとの出会いだ。

“厳しい目をしてる人・・・”、これが第一印象。
『こんにちわ』って迷わず声をかけた。笑顔付きで。
向こうは無表情にただ、『こんにちわ』と返すだけ。
立ち止まりもせず一瞬の出来事だったが、
“あぁ、この人は大丈夫だ”、妙な確信を持った。

58.小さな積み重ね

13時30分、民宿坂口屋に到着。
座りやすそうな段差があったので休憩。
体中が痛痒い。毎度のマッサージを始める。

まず段差に座り込み、リュックを下ろす。
軽く腕を回し、肩をほぐす。肩揉みもする。
リュックの重さに血液が停滞するみたい。
激痛が駆け巡るほど肩こりが痛いものだと、
この遍路に来て初めて知った。

そして靴紐をほどき、蒸れた足を出す。
冷えた冬の空気が心地いいのは最初だけ。
靴下を脱がせ、素足になると一瞬で凍える。
インドメタシン配合のジェルをそこへ塗りこむ。
うぅ~、冷たい!モミモミ、ふくらはぎをマッサージ。
ジェルが渇いたら、すぐ靴下を履く。

両足の手入れが済んだら、今度は肩。
まず、ジェルを肩全体に塗りこむ。そして、
ジェルでヌルヌルしてる状態でサロンパスを貼る。
この手順でやらないとサロンパスの粘着が強力で、
剥ぐときに皮膚も一緒に剥けてしまうことが。
お風呂入るとしみるので気をつけてください。

こまめな手入れが肝心。面倒くさがると後に響く。
高い靴と中厚の靴下のおかげかもしれないが、
小さな積み重ねに、靴擦れに泣くことはなかった。

4時00分、22番平等寺に到着。
さっきの自転車さんと再会。
“ん?いつの間に?・・・抜かされたっけ?”

『あれー?(歩くの)速いですね~』と私。
『ええ。自転車やからな』と自転車さん。
“ああ、なるほど。自転車遍路さんなんだ”
熱心に祈る自転車さん。私はベンチでぐったり。
手を合わせる程度はしないとまずいよね・・・
のそのそと私も本堂に向かった。

59.したいからする贅沢

16時20分、山茶花に到着。
山茶花は22番平等寺のすぐ隣にある。
私、京都さん・指圧さんが山茶花に宿泊。

剣客さんも山茶花まで来たものの、断られてしまう。
できたばかりの宿、部屋は3部屋のみ。
私の部屋は宴会の座敷に使う部屋らしく、
幕の垂れたステージ、カラオケ器具が置かれてた。
広いが相部屋にはまだ対応してない。それが原因。

『こういう食堂みたいなところで一杯するのが好きや』
と、京都さん。熱燗のお猪口を片手に上機嫌。
京都さんの隣には指圧さん。ビールを飲んでる。

2人に対面する形で夕食のテーブルにつく私。
気付けば私も熱燗を相伴、うぅ~美味しい!
京都さん、指圧さんにも『熱燗でええなら、奢りやー』
そして宿の方に、お銚子2本とお猪口を頼む。

共通する話題は遍路だけ。
お互いの素性すら分らない状態、
利害関係の発生はまずありえない相手。
身構える必要はなく、合わなければ避けるだけ。
無理して合わせたり自分を繕う必要もない相手だ。

酒盛りに私は誘われた。
それはある意味、受け入れられたってこと。
私も乗り気だから受けた。したいからする。
ある意味贅沢。普段はなかなかできないから。
十善戒の不妄語、偽りを言うなかれ。
偽らない、だから笑いも夜更けまで絶えなかった。

気持ちを殺すのはしばらくしない。
遍路に来てまで神経すり減らす必要はない。
最低限のマナーを守れば、それでいいはず。
面白くないのに必死に笑うのも、
周りに心配させない一心に快活を装うのも、
四国ではやめる。もう疲れた。充電しなくちゃ。

—–
十善戒とは
大日如来の妙戒。
・不殺生 殺生することなかれ
・不邪淫 邪淫することなかれ
・不綺語 虚飾の言葉をいうなかれ
・不悪口 悪口をいうことなかれ
・不両舌 二枚舌を使うことなかれ
・不慳貪 貧ることなかれ
・不瞋恚 怒ることなかれ
・不邪見 邪まな考え起こすことなかれ
・不偸盗 盗むなかれ
・不妄語 偽りをいうことなかれ

以上の十戒を守ることで鬼畜、悪魔、怨敵から惑わされることのない、悟りを得る妙道のこと。

60.自分ルール、触れたら何も考えない

6時00分、身支度を整え朝食に向かう。
鈍いのか体に変化は感じられないような?
前夜、酒盛りを終えた後、指圧さんから、
マッサージのお接待を頂いたのに。

きっかけは京都さん。
指圧さんにマッサージをしてもらったらしい。
酔った勢い、しきりに私にもマッサージを勧める。
『足がラクになるから、ぜひやってもらいなさい』
状況的に断れず、指圧さんも苦笑いしながら承諾。
肩こりがひどいと告げ、肩をメインにお願いする。

機械なら体も預けやすいが、人間の先生。
どうも落ち着かない。体が半分拒否してる。
酔っていて良かった。じゃなきゃ体が強張っていた。
長年の癖に、マッサージの最中は何も考えない。
自分の部屋に戻ってから。そう、溜息をつく。

小さい頃の癖。自分ルール。
“人と触れ合っているときは何も考えないこと。”
だから人との物理的な接触は精神的にキツイ。

それは私が幼い、まだ母親と一緒に寝ていた頃。
寒くない?って母親が私を抱き寄せたり、
寝返りを打った母親の足が私に絡まったり、
ただ母親と寄り添うだけ、ほんのわずかでさえ、
母親と体が触れ合うことが、怖かった。

体が触れる=触れた部分を通じて、
私の考えてる、秘めている胸の内が相手に伝わる。
何故だかわからないが、そう信じていたからだ。

そしてこの癖は、当初母親だけを対象としたが、
いつの間にか誰に対しても、どんな相手にも、
無意識に反射的に、反応するようになってしまう。

例えば体育の授業、先生の号令に生徒が集まる。
『みんな固まって・・・』、生徒が1つに固まる。
私と横の者の、運動着をまとった腕同士が触れる。
スイッチが入ったように私の頭はからっぽに。
私は長く、本音を隠して、閉じ込めて生きていた。

1/12.移動と宿泊

本日の移動

7:35 民宿金子や
9:05 20番鶴林寺
10:20 那賀川
12:00 21番太龍寺
13:30 民宿坂口屋
大根峠経由
16:00 22番平等寺
16:20 山茶花

本日の宿泊

名前 山茶花
(0884-36-3701)
場所 22番の隣
料金 6,300円
洗濯 洗濯機と乾燥機あり。
備考 部屋数少ない。要予約。

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