1/13.徳島編_遍路8日目

1/13.徳島編_遍路8日目

61.手のかからない子

なぜ、本音を隠すようになったのだろう。
それは本音を出すわけにはいかなかったから。

本音を出してしまえば母親が今以上に大変になる。
何も語らなくても、幼くても、家庭状況は分っていた。
2つ下の弟も同じ。私と弟は手のかからない子。
悟っていただけ。演じていただけ。諦めていただけ。
賢いとか、利口とかじゃない。我慢していただけだ。

私の家族は5人。父、母、私、弟、妹。
末の妹は4つ下、重度の心臓病を抱えて生まれた。
普通、心臓には左右の心室と心房を合わせ4部屋がある。
妹はその部屋が1つ足りなかった。

妹は幼い頃から繰り返し手術をしていた。
体の調子を見ながら、病院と家を往復する生活。
一緒に暮らした毎日、病院への顔出し。
青白くて、すぐに座り込んだり寝込む子だったけど、
どこが病気かさっぱりわからないほど元気に見えた。
妹の体調が良かっただけと今では思うけど。

こんな元気な妹を、親はなぜ甘やかすのだろう?
事実、妹が欲しがれば何でも親は買い与えていた。
なんで妹ばっか?手術になれば母親が付きっきり。
どうして?何かがオカシイ。・・・なのに、言えない。
母親に言えば、辛い顔をするだろう。
それは見たくない。だから言わない。我慢した。

たまに、『うちの子は手のかからない子でした』
そんな自慢げな言葉に出会うことがある。
神経が逆撫でされる。不愉快な言葉だ。
本当にそう?あんたの勘違いじゃない?

手がかからない=本音を出さない。
そう考えたことはあるのだろうか。
子供の気遣いに甘えてラクしてただけじゃない?
一度は子供時代を経験した親。
子供の気持ちがわかると思いがち。
でも、それは幻想。はやく現実に気付けば?

62.怖いだけの父親

私の場合、妹と父親のことがあったから、
その時は“手のかからない子”に甘んじていられた。

私の父。幼い頃の父親は怖いだけの存在。
朝食と夕食を共にしても、会話はなく沈黙。
下手なことを話せば怒鳴られるから、黙って食事。
私と弟が騒げば、母親に怒鳴りつけていた。

恐ろしく潔癖な人。口癖は『掃除しろ』。
お金にも細かく、財布は父が握る。
家計費も家計簿に記入されないと渡さない。
加えて、酔えば母に手を上げる人だった。
いつも母は父に泣かされていた。

私の幼い頃の記憶。ほとんどが親のケンカ。
真夜中、穏やかならぬ物音に目を覚ます。
母は隣にいない。弟も気付いて起きている。
父親の怒鳴り声と食器の割れる音、母の泣く声・・・

翌日になれば何事もなかったように振舞う母親に、
ケンカは知ってはいけないこと、そんな気がした。
弟を促し寝かしつける。私も寝るふり。
実際に寝てしまうこともあったけれど、
母が隣で愚痴りながら泣いてるのを聞くこともあった。

母は必死に家族のつながりを守っていた。
散り散りの心の板挟みになって繋ぎ止めていた。
でも父には伝わらない。元々家庭を省みない人。
暴力はエスカレート、ケンカも大っぴらに。
『子供の前では止めて』と叫ぶ母におかまいもなく。

妹と父、どっちもいらない。拒否していた。
しかし愛情を疑わなかったから繋がってもいた。
母親のその向こうに妹と父の存在があっても、
その母の手を拒む真似はしなかった。
ただ寄り添った、裏切られるまでは。

63.適わねば離れ去るだけ

7時35分、山茶花を後にする。
隣の平等寺に手を合わせ、寺と対面する橋を渡る。
そして忘れ物に気付いた。

『宿に杖を忘れた!』忘れるのは何度目だろう?
いい加減、イライラした。戻るのはダルイ。
金剛杖でもなく、山の中で拾ったタダの木の棒。
“もう連れて行けません。ごめんなさい”
心の中で別れを告げる。もう、うんざりだった。

テクテクテク・・・、妙に後ろ髪が引かれる感じ。
“置いて行ったら後から後悔するんじゃないの?”
“体の節々は痛むし、戻らず先いそぎましょ!”
2つの声が交互に囁く。胸が騒ぐ。溜息が出る。
経験的にこういう状態になった後は想像がついた。
歩む足を止めた。なんだか面白くない。

棒ごときに、こんなに悩むなんて!
これで置いて行けば絶対後悔すると経験が訴える。
はぁ~。まるで何らかの意志にハメられた気分。
意志は拒めない。反発したら後悔するから。
私はやらずに後悔したくない。宿に引き返す。
杖は傘立てに置かれたままだった。

杖に縁を感じた。そこに意味はなくても、
四国にて出会うべき相手の1つだと感じた。

見てくれの良い悪いではなく、
自分にとって相性が良いか悪いか。
そういう意味で、拾った杖は良いモノだった。

出会いを偶然と流すか、必然と受け止めるか。
人も物も、適わぬ相手なら離れ去る。
どうやら私は杖に気に入ってもらえたようだ。
同じく、私も杖を気に入った。
もう、“あたしのモノ”。執着が芽生えた。

64.人を人で無くした月夜

8時12分、月夜御水庵に到着。
22番平等寺の奥の院でもあり、『月夜』にある。

『ここは月夜』。
そう書かれたバス停の標識を発見。
おとぎの国へ迷い込んだような気分。ワクワク。
土地の名を『月夜』という。幻想的で空想的な名だ。
ここを通るバスの行き先は『月夜』、
ここへ届く荷物も『月夜』宛て。いいなぁ。

月夜が似合う土地なのだろうか。
信州長野にも月夜が美しい“名月の里”がある。
姨捨、おばすて伝説のモデルとなった山がそれだ。

国の名勝百選に指定される棚田が広がる土地、
山の面に段々畑のように大小の田んぼが並ぶ。
新緑から初夏の頃、田んぼには水が張られる。
そして夜、その棚田の一つ一つに月が映るのだ。
“田毎の月”、たごとのつき。そう呼ばれる。

この姨捨山には天台宗の長楽寺がある。
中秋の名月近くは一般に夜中もお堂が解放され、
私も暗闇と静寂の中、雲から覗く月をそこから見た。
三日月なら瞬く星に月も霞むが、その日は満月。
しかし街灯が折角の名月を霞ませていた。

日本人は桜とともに、月への思い入れも深い。
同じ酒盛りであっても花見と月見、趣は異なる。
華やかな花の雰囲気に沸く花見の宴会とは違い、
月見にはかぐや姫が涙したような物悲しさを覚える。
その昔、姨捨山に年寄りを捨てに行く時こう誘った。
『今夜は美しい月を見に、あの山へ登りましょう』

信州は蕎麦の産地。痩せた土地でも蕎麦は実る。
信州は貧しかった。修羅とならざるを得ないぐらい。
貧しさは人を人で無くす。綺麗ごとでは食べれない。
不本意であれ家族を養うには間引くしかなかった。
そうして子は親を捨て、親もまた親を捨てた。
月見の誘いは永遠の惜別だった。

惜別の誘いは親から切り出すことも多かった。
子が罪の意識に苛まされないように配慮して、
また、月夜なら子が帰り道を迷わず帰れるだろうと。
姨捨伝説では親孝行息子の美談が親しまれるが、
実際は貧困の凄惨さを物語る逸話だった。
彼らなら『月夜』の地をどんな面持ちで歩くのだろう。

—–
おばすて伝説とは
メ通称、姨捨山。正式には冠着山(かむりきやま)という。
孝行息子の話が有名。他にも山にちなむ伝説が残る。

65.生きるより逝きたい?

明月橋を渡ると由岐分岐になる。
ここから23番薬王寺へいく遍路道が2つに別れる。
左と右。左は海岸沿い、右は国道の道だ。

海岸沿いの道は5kmほど距離が長い。
私は少しでも短い方をと国道の道を選んだ。
体中が疲れと痛みで辛かったから。
前方に人影が見える。京都さんだ。
一番早く宿を出た京都さんに追いついたらしい。
声をかけ、一緒に歩くことになった

『指圧さんは国道は(景色が)つまらんって、
海岸沿いの道へ引き返してったわぁ』と京都さん。
指圧さんは歩き遍路が初めてではなかった。
国道は以前に歩いたことがあるから、別の道を。
海亀が産卵に訪れる海岸沿いの道を選んだようだ。

10時00分、星越トンネルを抜ける。
『トンネルのむこうは、不思議の町でした』の逆。
月夜から、月の橋を渡り、星のトンネルを越え、
しかし続く地名は胸が沸き立つものはなく、
おとぎの国はトンネルを過ぎたら終っていた。

11時40分、一ノ坂トンネルを通る。
その先には湧き水が引かれた瓶があった。
『飲んでも大丈夫』という京都さんの言葉に促され、
湧き水を飲む。ひたすら透明で甘かった。
『消毒してない湧き水やから美味しいやろ?』
ええ、とっても。大腸菌も生きる水は美味しかった。

『うちの別荘にも水が湧いてて普通に飲めるんや。
けどな年寄りや胃腸の弱い人が来て、もしも万が一、
お腹を壊したとなれば大変やから塩素消毒してる。
湧き水から蛇口が近いから少量で済むけどなぁ。』
塩素消毒。安全な水には微生物の死骸だらけ?
口にする水、微生物も生きれる方が体に良い気が。

京都さんの経歴はこの頃にはだいたい聞いていた。
興した会社を大きく成長させ、退いた今遍路に。
休日は買った山にログハウスを組み立て中とか。
そこへピアノを置き、いつか弾けるようになりたいと。
それなのに、『結願し家に帰った夜に往生するんや』
私は戸惑う顔しかできない。ただ聞くだけだった。

66.見えても見えない見ないふり

13時30分、23番薬王寺に到着。
門前に自転車さんの自転車が止まっていた。

お参りを済ませた自転車さんを見つける。
『こんにちわ』と声を掛け合った。
一緒にいた京都さんにそれとなく、
『昨日仲良くなった自転車遍路さん』と告げる。
話をするわけでもなく、自転車さんとすれ違う。
突き刺すような厳しい目は相変わらずだった。

疲れた体に薬王寺の階段は辛かった。
京都さんと2人、簡単な参拝をしてご朱印を頂く。
観光客がいっぱい賑わう境内からは海が見えた。
離れた島に城が立つ。城下町であり、門前町か。
ここは両者が仲違いすることなくうまくいったのか?

長野県にも有名な城下町と門前町がある。
松本城がある松本市と、善光寺がある長野市だ。
両方とも国宝に指定される文化財を持つ。
長野県は大きく分けると北信と南信に分けられ、
長野市は北信を、松本市は南信を代表。
そして長野と松本の対立は広く一般に知られた。

一時は分県寸前まで高まった南北対立。
1948年の県議会。議会が大荒れし決裂寸前のとき、
誰かが突然、県歌『信濃の国』を歌い出した。
独唱がしだいに合唱となり、大合唱となる。
想いは1つ。分県の声はこの日を境に静まった。
『信濃の国』にまつわる伝説である。

城下町と門前町が折り合いが悪いとは思わない。
本来、無味の単語。そこに苦味を感じる私は、
条件反射に長野と松本がひらめき、
連鎖的にその対立を思い出すからだろう。

下山。薬王寺の門前に、托鉢する遍路がいた。
全身白尽くめ。深く傘をかぶり、立ちつくす。
その前を無言のまま通り過ぎる私と京都さん。
托鉢遍路は空間には存在したが、
私と、おそらく京都さんの目にも、存在しなかった。

67.勘のお告げ

14時10分、日和佐駅前に到着。
23番薬王寺から先はいったん宿が途切れる。
この辺りで宿泊するつもりだった。

京都さんに今日の宿はどうするか尋ねられる。
『まだ決めてないんです。』と答える私。
この頃には前日に宿予約はしなくなっていた。
宿さえ営業していれば断られることはなかったから。
その日の体調と調子を見て、午後3時を目安に、
『今日の宿泊おねがいできますか?』と宿探しした。

『京都さんはどこに泊まるか決めてます~?』
駅前のビジネスホテルにするとの返事。
『予約は?まだなら私の分もお願いしてください~』
これから宿へ問い合わせ。私の分もお願いする。

14時25分、ビジネスホテルケアンズ。
首尾よく部屋を確保。駅の目の前にあるビジホだ。
駅の売店に寄り、京都さんはお酒を買い込む。
ビジホのフロントにて清算を済ませ、
それぞれの部屋にさがった。

トントントン、ドアをノックする音。京都さんだ。
『これで会うのは最後かもしれないから・・・』と、
連絡先が書かれた名刺を渡される。
近くに来た時は連絡してくださいとのこと。
(観光名所なので)地元を案内すると言われる。
ただただ、嬉しい申し出に戸惑うしかなかった。

京都さんは、女性を大切に扱うことはしても、
若い娘だからと話しかけてくるタイプではない。
感覚的に話の通じない相手は避けるだろうと思う。
必要以上に距離が狭まることはなく、
お酒の席でも下ネタは出ないし、実に紳士。

小遣い稼ぎに水商売のバイトをしていた。
京都さんの第一印象は、付き合いで来る客。
自分から率先して遊びにくりだすタイプの逆だ。
付き合い以上に親しくなるのを避け、
その場限りの申し出なら言わずに過ごす人。
だから本当に観光案内するつもりだと勘が告げた。

68.充電完了、さあ動くぞ

『じゃあ行ってきます~』
余ってる時間を日和佐観光に費やそうと、
京都さんに声をかけてから出かける。
『お弁当よろしく』と京都さん。夕飯を頼まれた。

駅前のビジホを出て、23番薬王寺に戻る。
自分のペースでもう一度ゆっくり寺を拝観したくて。
それと、門前にいた托鉢の人が気になった。
通り過ぎてしまったという罪悪感もあって、
罪滅ぼしじゃないけど、お接待したくなっていた。

千円を握り締め寺へ急ぐ。
門前に姿はなく、その人は既に去った後。
私のテンションは一気に下がった。
どうやら私は出会いを見つけていながら、
手をこまねいて、やり過ごしてしまったようだ。

回転寿司へ行って食事相手に気兼ねして、
欲しい皿を目で追いつつ、手を出さなかった感じ。
『そういうのが好きなんだ』って思われたくなくて。
『実は自分も気になって』となるかもしれないのにね。
後悔に、気分はブルー。

一期一会。
その瞬間を生かすも殺すも自分次第。
たった一言から縁は生まれる。行動が結果を生む。
偶然を必然の出会いにしたければ行動あるのみ。
出会いを求めるなら、待つだけの受け身じゃだめ。
出会いはつかみとって手に入れるものだ。

つかみとるもの。誰かをあてにするものじゃない。
素晴らしい眺望を求め山の頂上を目指すと同じ。
動くほど、望む出会いに遭遇する確率も高まる。
適切に行動するほど思いは現実になっていくのだ。

テンションが落ちて気抜け状態の私。
薬王寺の海が一望できるベンチに体を任せ、
ひたすらぼーっと、あさっての方向を眺めてた。
顔も素の状態。ニュートラル。動くのは時間だけ。
隣のベンチに何人目の観光客だろう?我に返る。

磯の香りに触れたくなった。
海に行こう。ついでに日和佐城も行ってみるか。
そうそう、親友とO先生に手紙書かなきゃ。
どこかに良い絵葉書ないかな?うん、探そう。
充電は完了した。さあ動くぞ。

69.欲しいから買う

まずは絵葉書探しから。
薬王寺を出て、いくつもおみやげ屋を回る。
私が日和佐にいるとわかるものが欲しかったが、
絵葉書自体、探しても見つからなかった。

インド雑貨を扱う店を発見。覗いてみる。
好みのアクセや小物や雑貨がいっぱい!
絵葉書探しを忘れて、しばらくショッピングモードに。
欲しいものがあったら買って自宅に郵送するつもり。
さて、良いものはあるかしら?

手始めに洋服コーナーへ。服の形をチェック。
民族系の大半は横幅が広く作られる。
着るとマタニティーっぽく見える。こういうのはダメ。
かわいくても太って見える服はたぶん着ないから。

形がよければ次は素材チェック。
布を指で軽く揉む。長く着られる服かの確認。
素材が薄く、テラテラしたものはダメだ。
洗濯したら型が崩れたり、布がチリヂリに波打つ。
適度に堅い丈夫な、洗濯負けしない素材が良い。

そして値段を確認。最後はイメージング。
着ていけるシチュエーションを想像して確認する。
高い服でも改まった席に着ていける服なら買う。
安くてもコンビニにすら着ていけない服はパス。

そう、服が良くても相性が合わないと最悪だ。
高い服なのに安っぽく見えるし、服が浮いて見える。
誰かが着て似合っていても自分に合うとは限らない。
逆に、誰かに似合わなくても自分には合うことも。
誰が着ても似合う服なんてつまらない。
自分色が出る、そんな服がほしいもの。

だから着ても一回だけ、それでも買う服もある。
服との出会いも一期一会。買い損ねたら終わり。
値段が張っても私のためにある服と思えたら、買う。
服そのものの良し悪しよりも自分に合うかどうか。
でも実際は“欲しいから買う”、それだけなんだけど。

70.瑠璃とお大師さまと縁

インドの雑貨屋で目が釘付けとなった物がある。
ラピズラズリのペンダントトップ。運命感じた。
シンプルなのに存在感がある石の形に惹かれた。
今は、買っておくべきだったのかと悩む。

ラピスラズリ、宗教と密接な石。
日本名を“瑠璃”という。仏教の七宝の1つだ。
私は一応日記を書くにあたって資料集めをする。
今回もラピスラズリについて調べた。そして知った。
空海が瑠璃を守護石としていたことを。

予感があって、23番薬王寺のご詠歌を検索。
“皆人の 病みぬる年の 薬王寺
瑠璃の薬を 与へまします”
薬王寺とラピスラズリが繋がるなんて・・・
感じた運命はお大師様との縁だったから?

病みぬる年とは厄年のことだろう。
薬王寺は厄除けの寺として有名だ。
階段一段ごとに一円玉を積む厄流しの風習も残る。
私が参拝したときも一円玉が撒き散らされ、
踏んだらバチが当たりそうと必死に避けた。
(今思うと、踏んだら厄を拾いそうな気がする)

本尊は薬師如来。正式には、薬師瑠璃光如来。
瑠璃の薬って薬師如来のことだったのか。
厄年に薬王寺に参れば瑠璃の薬、つまり、
薬師如来のご加護が与えられますよって?
瑠璃の粉末は古代では万能薬としても服用された。

薬としても珍重された瑠璃の粉末。
顔料としては黄金と等価で取引された。
“海の向こうから来た青”という意味のウルトラマリン。
遥か遠くアフガニスタンの地から海を越えて、
ルネサンスに賑わうヨーロッパにもたらされた。
神聖な青。聖母マリアを象徴する色でもある。
(日本画の高級顔料、岩群青とは別物です)

ペンダントトップの値段は5千円ちょっと。
買えない金額じゃないが、今必要なものじゃない。
手にとったペンダントトップを元の位置に返す。
いらない。欲しいけど、無駄はやめる。欲しくない。
ラピスラズリとの縁はなかったが、その後、
お守りとして今も身に付けるネックレスと出会った。

—–
七宝とは
極楽浄土を飾る、『金・銀・瑠璃・珊瑚・琥珀・しゃこ貝・瑪瑙』の七つの宝のこと。『大無量寿経』や『観無量寿経』などの仏教経典に載る。
室町時代以降、七宝といえば“金属の表面にガラス質の釉薬をのせて熔着させたもの”を指すそう。ツタンカーメンの黄金マスクも七宝の製法で作成されたという。

71.私の自由、あなたの自由

雑貨屋にて、絵葉書をゲット。
ついでに気になったシールも購入した。
ヒンズー教のガネーシャをあしらったシール。

四国にきてヒンズー教?なんてことは気にしない。
元々日本は八百万の神々が仲良く暮らす国。
様々な宗教のイベントを気兼ねなく楽しめる国民性。
遍路の最中、他の宗教に浮気ぐらい問題ない。
気を咎めるような信仰心は持ち合わせてないし。

信仰心。全くないわけじゃない。
この世には見えない大きな存在がある気がする。
それは偶像に身をやつす神や仏とは異質な存在。
人間の手で造れるような具現的な存在ではなく、
感じることでしか認知できない霊的な存在。
私は宗教上の神じゃなく、そうした存在を神と敬う。

どんな神を信じようとも、人それぞれで良い。
私が、私の信じる神を敬う自由があるように、
あなたが、あなたの信じる神を敬う自由がある。
そして私の自由をあなたが否定せず認知するなら、
私もあなたの自由を許容しよう。例え相容れなくとも。

買うものは買った。店を出る。足は海に向かった。
独特の生臭さ、磯の香りがだんだんと濃くなる。
肌にべたつく潮風、唇に薄っすらと塩辛さを感じる。
風が波音も運ぶ。耳を澄ます。足音と波音の重奏。
引いては寄せる波のリズムは耳に心地よかった。

クレシェンド。だんだんと波音が強く聞こえだす。
打ち寄せる波に繋がれた船が揺れてた。
ブルーが、遠く彼方まで広がる海にたどり着いた。
思い描いた砂浜ではなく、そこは一面コンクリート。
海水に手を浸したかったが、かがみかけてやめた。
船の傍らにいる数人の視線が気になった。

1人になりたい。空間に1人だけに。
ここは落ち着かない。どこか、そうだ、日和佐城。
私の目の前に海を挟んで日和佐城が見えた。
右手に橋が見える。足が痛いけど、行ってみよう。

72.人肌恋しい

日和佐城は、近くに見えて距離があった。
到着した頃には足の裏が痛んだ。
せっかく余った時間。あたし、何やってるんだろう。
休息時間にあてればよいのに。バカみたい。

小高い山の上にちょこんとある日和佐城。
駐車場はガランとしていて、周囲に人気はない。
城の休館日だった。タイミング悪過ぎ、残念。
しばらく1人を満喫しながら足裏マッサージする。
そして今日の、このあとのこと考えた。

“そろそろホテルに帰ってネットでもしようかな”
“ダメだ。AirH”死んでたっけ。ピッチ使えなさすぎ”
“そいえば、買った絵葉書も書かなきゃだ”
“親友に、O先生、心配してるだろーし”
それに明日はホテルを早く発とうと考えている。

そろそろホテルに戻ろう。頼まれた夕飯、買って。
ここでボンヤリする時間は終了。動こう。
お弁当買って、絵葉書書いて、さっさと寝よう。
決まれば後は早い。行動は迅速に、がモットー。
日和佐城を背にして歩き出した。

前方から学生服着た男の子が見えた。
傾斜に自転車を引いて、こっちに向かってくる。
暗黙の了解よね。無言のまますれ違う。でも、
“ん?あれ?”、振り返って、男の子に声かけた。

『日和佐城、閉まってましたよー。休館日!』
男の子がきょとんとした顔で振り返った。
『この上にあるテニスコートで練習するんです』
にこやかに背中のラケットを見せてくれた。
『・・・ごめんなさい。城に用があるのかと思って。』
しばらくその場で彼と話し込む。

おねーさん、地元の人?どこから来たんですか?
来年から通う大学がそっちの方です。よろしく。
いくつなんですか?ああ、おねーさんですね。

さわやかな会話だった。質問にも笑顔で応じた。
そして男の子とバイバイした後、妙な余韻が残る。
忘れてた感情が吹き返す。人肌が恋しくなった。

1/13.移動と宿泊

本日の移動

7:35 山茶花
8:12 月夜御水庵
10:00 星越トンネル
11:40 一ノ坂トンネル
13:30 23番薬王寺
14:15 ビジネスホテルケアンズ
日和佐見物する

本日の宿泊

名前 ビジネスホテルケアンズ
(0884-77-1211)
場所 日和佐駅前
料金 4,800円
洗濯
備考 素泊まり

 

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