23.死装束
必死で歩いていたのは事実だが、
巡礼の旅という重苦しい雰囲気はなく、
形はスタンプラリーな私。
格好も白衣ではなく、トレーナーとジーパン。
リュックがなければ絶対遍路には見えないだろう。
「白衣は着たほうがいい」と、よく言われた。
道を間違えていれば教えてくれるし、
お接待が増えるし、女性なら防犯にもなるそうだ。
でもどうしても、白衣は着たくなかった。
格好悪いとかそういう理由ではない。
死装束だから嫌だった。
私、死ぬ気なんて、さらさらない。
遍路に死ぬ覚悟で来たわけじゃないし、
遍路にきた理由も今後をよりよく生きるため。
死装束という幸先の悪いものは着たくなかった。
白衣を着ることで、遍路以前の自分を葬り、
遍路以後は新しい自分に生まれ変わらせる。
そんなふうにも考えられたが、それは精神的な話。
命尽きるまで付き合うことになる自分の肉体には、
まだ死装束を纏わせたくなかった。
6時30分。
朝食をいただきに食堂へ降りる。
昨夜の賑わいは消え、TVのニュースがよく聞こえた。
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お接待とは
四国の地元の方が遍路参りをしている者へ、食べ物や現金を授けたり、
目的地まで車に搭乗させたり、家へ招いたりする等の無償の行為のこと。
最近は当然のようにお接待を期待する遍路が増えつつあり、良き風習も廃れ始めている。
24.肌荒れ
峠を越え、午前中はずっと川沿いを歩いた。
快晴続きの毎日に日焼けした肌がヒリヒリする。
日焼け止めを塗っても効き目が追いついていない。
太陽の輝きは冬だというのに強烈だった。
歩けば、リュックを背負った背中が汗ばむ。
身体が火照って、つい腕まくり。
顔は暑くてピンク、ちょっと恥ずかしい。
化粧でごまかすこともできた。
でも、汗がにじんで惨めになる化粧はやめた。
一生懸命になるほど、醜くなるようで嫌だったから。
日焼けで痛んだ肌に、乾燥した空気が追い討ち。
ガサガサにひび割れ始め、感触はまさにハニワ。
素肌に日焼け止め+ハンドクリームを塗り込む。
そのとき、自分の顔に触ると違和感を覚えた。
鼻水が止まらず、鼻下がティッシュの摩擦で痛い。
切れた口唇からは血の味がにじむ。
肩こりがひどいせいか、目も疲れて、かすむ。
前日の遍路転がしの疲労に膝もカクカクし始めた。
同じ身体。
調子と感情は連動する。
コンディションが最悪なら、
引きずられるように感情も最悪になっていった。
25.別格2番童学寺
鮎喰川を隣に、歩くこと昼過ぎ。
見渡す限りどこをとっても絵になる景色。
気持ちも慰められていた中、13番大日寺と、
別格2番童学寺を別つ、行者野橋に出る。
一般的な遍路として知られる八十八ヶ所参りならば、
そのまま川沿いを歩いて大日寺に向かう。
でも、私の場合は108ヶ所参り。
私は橋を渡って北上し、
山を越した先にある別格2番童学寺を目指した。
山の反対側との行き来はトンネル。
先達のアドバイスに従い、
トンネルすぐ左にある遍路道を通り過ぎ、
立入禁止の空き地を通り抜ける。
住宅街に出るも、寺らしきモノが見当たらない。
農家のおばちゃんに道を尋ねると、
白っぽい建物を指差して教えてもらった。
14時20分。
別格2番童学寺に到着。
大きな池と、落書きされた門を通り、
ずらりと並ぶ地蔵に出迎えられた。
この童学寺は学問の寺として知られる。
弘法大師が学問修行した折、
48文字全てを用いた『いろは歌』を作成したという、
謂れを持つ寺。かなり眉唾な話。
受験シーズンのせいか参拝者も多かった。
ちなみに別格1番大山寺は恋愛成就で有名だ。
私が参拝したときも、中年の娘を連れた母親が、
引いたクジを見て歓声をあげていた。
良縁に恵まれる、とでも書かれていたのだろうか・・・
—–
いろは歌とは
『いろは歌』とは、広義では、いろは四十八文字を重複無く
用いて作られた歌全般のこと。ここでは“いろはにほへと”
で知られるいろは歌を指す。
弘法大師が作成したという説は信憑性が薄いとされ、
本来の作者については諸説があり。
26.素通りの6等星
遍路道中にも無数の一期一会がある。
その大半は小さすぎて見えにくい。
だから気付かずに素通りする人も多い。
例えば、大小さまざまの星がひしめき合う星空。
とりわけ目を引くのは、大きく強く瞬く星だろう。
明るさの物差しである等級でいえば、1等星。
最も暗い6等星の、およそ100倍の輝きを持つ。
どんなに鈍感な人の目にも止まる1等星。
じゃあその隣に並んでる6等星には気付く?
特別な道具はいらないし、専門家じゃなくても、
注意深く観察すれば見えるはずなのに。
1等星を指差して、『あの星きれい!』で終了。
人との出会いだけが一期一会ではない。
五感のそれぞれでしか感じられない出会いもある。
あとは本人が気付くか気付かないかだけだ。
車が散らす乾燥した砂ぼこりの匂い。
トンネルの中に溜まるひんやりと湿った空気。
自分が踏みつけた小枝の折れる、かよわい音。
光を受けては煌き、ゆるく流れ去る河水。
目的の寺が見えた瞬間の、感情の高揚。
鼻をつく香り、肌に訪れる感触、耳に飛び込む音、
移ろう景色、一瞬の感情の高まりも全て出会いだ。
出会いと意識しなければ気付かないまま。
優秀な脳みそが無意識に忘却処理してくれる。
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等級とは
肉眼で見える星を、明るさごとに1等星から6等星まで分類し階級付けたもの。
27.ハンセン病と四国遍路
長く、四国遍路は見えるのに見えない星だった。
思い起せば記憶には遍路との出会いはあった。
その中でも特に印象強く残っているのが、
高校の授業倫理での、遍路との出会いだ。
倫理の授業スタイルは、
因習や病気など社会の一面を扱ったトピックを、
毎回変えては深く考えさせるもの。
授業のたびにレポートが課せられた。
トピックのあるときは同和問題、憲法9条戦争放棄。
遍路との出会いがあったのはハンセン病のときだ。
ハンセン病、いわゆるライ病。
誤った認識による差別と偏見が今なお続く病気。
現在は化学療法により快癒する病気だが、
古くは遺伝する不治の病、伝染病等と誤認された。
病状が進むと容姿や手足が変形するため忌まれ、
患者を持つ家族は世間から患者を隠匿した。
患者を抱えるのが負担になれば捨てる家族もいた。
家族への迷惑を考え自ら放浪に出る患者もいた。
こうした患者は放浪癩と呼ばれ、
一縷の希望にすがり、また生きるために、
四国を目指したそうだ。
私がハンセン病のレポートを書くときに、
偶然目にした本にこうあった記憶がある。
『ライ病患者はその醜い姿で、
観光遍路を驚かさないよう、ときには隠れながら、
道ともいえない道を歩いて次の寺を目指した・・・』
強烈な一節だった。
ハンセン病患者に降りかかった悲劇の全てを、
集約している、そんな気がした。
28.ごちゃまぜの鉢植え
四国遍路とは、こんな出会いもあった。
映画リングの続編らせんを見に行った時のこと。
らせん終了後に続けて放映されたのが、
怪しげな四国遍路が登場する映画『死国』だった。
『死国』では、四国の地に結界を張る行為として、
四国遍路を位置付け、遍路の逆打ちをすることで、
その結界を歪ませ死者を蘇らせる、
というエピソードが盛り込まれた。
ホラー映画だから全ての味付けが薄気味悪い。
白く浮き立つ遍路の白装束も不気味なら、
授かった朱印を部屋一面貼り尽くす演出もサイケ。
狂信的な遍路。
もしくは怪しげな呪術を操る遍路。
『死国』を見た者にそんな印象を植え付けたようだ。
私が四国遍路をやったと、同世代に言えば、
返って来る言葉は、『死人が生き返るやつ?』。
対する中高年の『何があったの?』よりは、
返事に窮しないが、それでも返事に困っている。
思いつきで出たような遍路だったが記憶を遡れば、
無意識に蓄積された遍路のデータがあった。
色々な要因が混じり合い、元々あった知識もあって、
四国遍路に興味をもったのだろう。
ちょうど、ごちゃまぜに種をまいた鉢植えみたい。
成長に適する環境が整った種は芽吹いて開花。
こんな花もあったなと、その花に注意が向くように。
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リングとは
鈴木光司原作。同名小説の映画化。
観た者は7日後に死ぬ、という呪いのビデオを巡るホラー映画。貞子でお馴染み。
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らせんとは
上記の続編。
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死国とは
坂東眞砂子原作。同名小説の映画化。
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逆打ちとは
88番の寺から1番の寺へ、反時計回りにて四国を周ること。
この逆、1番から順に周ることを順打ちといい、言い伝えによれば
弘法大師が未だに四国を順打ちしているといわれ、大師に会いたいと
願う者が逆打ちしている。
本来の順打ちに比べ道が険しく、修行効果も3倍あるとも言われている。
29.いかに速く
別格2番童学寺の参拝後、たいていの場合、
いったん来た道を引き返して13番大日寺へ向かう。
しかし童学寺を参拝後、私は来た道と反対方向の、
17番井戸寺を目指して歩いた。
“四国一周歩く”ことが目標であり目的だった私。
順打ちならば1番から順番通りに数を追って、
寺を巡拝しなくてはならなかったが、
私の場合は順番は関係ない。
寺を全て歩くならその順番は何でもよかった。
童学寺から井戸寺に抜けるアイディアは、
10番切幡寺の売店のおばちゃんから聞いたもの。
私が八十八ヶ所以外に別格も周っていると話すと、
それならと、おばちゃんが教えてくれた。
17番井戸寺に抜けるアイディアはすぐ気に入った。
18番恩山寺は13番大日寺の南にある。
同じ引き返すならば、井戸寺から大日寺まで、
遍路道を逆に歩く方が効率的に思える。
いかに速く、八十八ヶ所と別格20を周れるか。
のんびりダラダラな旅は性に合わない。
メリハリのある中で楽しめる旅がいい。
後ろ髪引かれればその場に立ち止まるが、
とくに心惹かれない限りはひたすら歩いていた。
朱印を授ける時間は7時~5時の間だけ。
寺で授かるご朱印は歩いた記念であり証拠だった。
いかに時間を使うか、そればかりに関心があった。
納経所が閉まる15分前、井戸寺到着。
本堂も大師堂へも目を向けず、納経所に急ぐ。
ご朱印を授かった途端、どっと疲労を感じるように。
本尊さまも、お大師さまも拝むことなく、
予約した宿に向かった。
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納経所とは
ご朱印を授けてくれる場所のこと。
1/9.移動と宿泊
本日の移動
7:45 | なべいわ荘 |
14:20 | 別格2童学寺 |
16:45 | 17番井戸寺 |
17:00 | おんやど松本屋 |
本日の宿泊
名前 | おんやど松本屋 (088-642-3772) |
場所 | 17番井戸寺の門の脇 |
料金 | 6,500円 |
洗濯 | 洗濯をしてくれるようです |
備考 | アットホーム。思わず話し込んだ。部屋数少ない。要予約。 |
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