目次
- 73.去るしかないとき
- 74.入り混じる欲求
- 75.遍路のなまぐささ
- 76.宗教不信と恐い旅
- 77.あたしの信じる神様
- 78.説教する資格、年を重ねる意義
- 79.つまらないものを見る冷たい目
- 80.悪評の善根宿リスト
- 81.小さな親切、大きなお世話
- 82.飢えたギラつき
- 83.真剣も深刻も無縁、そうでしょ?
- 84.遍路に望む、沈黙の共有
- 85.脱皮には苦痛が伴う
- 86.白装束と遍路不信
- 87.優しい、死んでる言葉
- 88.世間じゃなく、あなたが許さない
- 89.見返りなしのバス遍路
- 90.弱さを隠すための強さ
- 91.山賊のでる遍路道
- 92.詐欺師に騙されないためには?
- 93.癖で防ぐ置き引き
- 94.寺と強姦、善根宿の見分け方
- 95.別格4番鯖大師
- 96.音を追い、跡を追う
- 97.今夜は宴会だ
- 1/14.移動と宿泊
73.去るしかないとき
携帯アラームが鳴り、6時に目を覚ます。
前日に荷造りは済ませてあったので、
手早く仕度を整え、ビジネスホテルを後にした。
6時30分、四国とはいえ冬の朝は冷え込む。
歩き始めは体が冷えてるので寒くて辛い。
寒さに肌が痛む。早朝の冷え込みが長野に似てる。
凍った空気が肌を突き刺す、あの感じ。
海が近いからだろうか。塩が肌をささくれさせる?
思ったよりも四国の冬は寒かったが、
長野と比べれば温かい冬だ。ここまでの道中、
雪はなく、積雪に凍りつく道もなかった。実に快適。
太陽の照りつけは力強く、旅人には頼もしい。
しかし、それが私には寂しい冬だとも感じさせた。
冬の寒い時期に思い出す記憶が幾つかある。
そのうちの1つ。感情を持て余した15歳の思い出。
雪の舞う真夜中、家を飛び出し、行くあてもなく、
寒さしのぎに友人と善光寺を往復した週末。
雪が止み、雲間から月が顔を出すと、
積もった雪が、月に応えるようにキラキラ煌いた。
深夜に外出する冒険にただ胸がいっぱいだった。
夜に友人と会ってぶらつくことだけ。楽しかった。
それだけで十分だった。あのときは。
ホテルを出て、国道の道まで戻る。
京都さんとこのまま離れたいと思っていた。
だから、自然と歩む速度も早足になった。
別になにかあったわけじゃない。
私の勝手な都合。我が侭、予感。
このまま京都さんと一緒にいれば、遠からず、
私は自分の話を京都さんに聞かせることとなるだろう。
何かの拍子に、きっと、絶対話してしまう。
私はそれを避けたいと思った。去るしかなかった。
74.入り混じる欲求
“なぜ四国へ?”四国にいる間中、
自問も含め、私を付きまとった言葉。
枕詞に“若いのに”がつけば、それは不躾な質問。
私が若いから遠慮なく問いかけられたんだろうな。
私が老いていても同じような気軽さで質問できた?
若いって軽く見られるよね。まぁ、いいんだけど。
おかげで説明いらずのラクもできた。
面倒臭いときはイマドキの特権、“わかんなーい”。
『よくわかんなーい、え~、なにいってんの?』
クスクス笑いで、たいがいのことをやり過ごす。
相手の苦りきった顔が小気味よい。若さって便利。
そう思った時期もあったっけ。
“私は若いけど、あなたの好奇心満たせるかもよ?”
心ではそう思いつつも、お決まりの返事をする。
『なんとなく歩き遍路してみたくて~』。事実だし。
生憎、誰にでも話せる過去は持ち合わせていない。
でも、問うた相手が喜びそうな幾つかの過去は、
伏せたカードとしていつも手元に用意してあった。
その気にさせて頂戴。気分次第で披露してあげる。
・・・違う。逆だ。本当は逆。
感情をこれ以上、せき止め続けるのは限界だった。
行き場のない感情が停滞して、腐っていた。
自分のこと、誰かにぶちまけたくて仕方なった。
だけど、どうしたらいいか分らなかった。
打ち明け話のロケーションとして四国は最高だ。
見ず知らずの相手だから、差し支えなく話せる。
一般認識として四国に集うのは救いを求める者。
話を打ち明けやすい土台と環境は整っていた。
それなのに。なにが私を躊躇させる?
話したい欲求と話したくない欲求が入り混じる。
75.遍路のなまぐささ
四国遍路は巡礼の旅と言われる。
巡礼を、聖地や霊場を巡るという意味で捉えれば、
四国遍路は巡礼の旅と言えるだろう。
しかしそれだけでは遍路は空虚な巡礼だと思う。
遍路には遍路装束と遍路作法がある。
長い年月を経て、形式化されたものなのだろう。
抵抗を感じない者ならシキタリに従えばいい。
年月をかけて出来上がった形は理に適ってるはず。
シキタリはそんなに悪いものじゃない。
ただ、あたしは窮屈に感じただけの話。
あたしは遍路を俗からの脱出だと思ってた。
しかし行ってあったものは、人の営み、なまぐささ。
所詮そういうものだと、納得できる自分も恨めしい。
知ることは人を無気力にし、無抵抗にさせる。
若ければ反発し、怒り、抵抗しただろうはずが、
今では虚しい失望感を抱えるに留まる。老けた。
6時50分、国道55号(遍路道)に出る。
ホテルケアンズは遍路道から少し外れていたから。
前方から人影が見えた。健脚さんだった。
『おはようございます~。何してるんですか?』
朝早く、荷物も持たずにどこへ行くのか気になった。
『朝食買いに行こうと思って、そこに泊まったんだ』
健脚さんはバスを改造した善根宿に泊まったらしい。
『機会があれば善根宿を体験したいですー。』
半分本気で、半分冗談で、そう笑って別れた。
76.宗教不信と恐い旅
“信じる者は救われる”
宗教の販促文句と言っても差し支えないくらい、
どの宗教共通して、形を変えては耳を訪れる言葉。
信じる者だけが救われるの?
信じない者は救われないの?
それとも、信じない者も救われるわけ?
・・・布教の妨げになるから口を閉ざすの?
人が崇める神や仏は取引がお好き。
生贄やお布施や信仰心や、何かしら対価を求める。
対価がないと願いを聞き入れてくれないらしい。
なんとも俗っぽい。そう思うのは、あたしだけ?
崇高な存在である、神や仏ともあろう方が、
対価によって人を測り、差別するのだろうか?
あたしの宗教に対する不信はこの矛盾にある。
畏怖はあっても信仰心は持ってなかった。
神や仏に対して冷ややかに見つめてた。
“信じる者は救われる”のあたし的解釈でいけば、
神や仏もあたしに対して冷ややかで、
あたしを守ることはないだろうと思った。
だから、あたしにとって遍路は恐い旅でもあった。
あたしが遍路に持って行った地図は、
へんろみち保存協力会が出している、
『四国遍路ひとり歩き同行二人(第5版)』だ。
歩き遍路のバイブルとも言える冊子。
遍路道から外れると役立たずの地図だったが、
豊富な情報にはたくさん助けられた。
▲四国遍路ひとり歩き同行二人 p109
▼石佛の霊験について(拡大)
その冊子の109ページ。
地図はこの日これから歩く道筋が載っている。
そこへさり気なく添えられた、石佛の霊験の話。
最初は全然気にしてなかった。
“あっそ、へー、そーなんだ”程度に受け止めてた。
でも実際1人でその場を通り過ぎたとき、恐かった。
今なら、死霊の憑依と聞いたって、
バカバカしいと笑い飛ばせられる。だけど、
右も左も分らない、知らない道を歩いた遍路中は、
いつも不安と隣合わせ。ただでさえ心細い。
山の間を抜ける一車線の淋しい道。テクテク歩く。
恐いと思えば死霊が近寄ってくる気がして、
努めて何も考えないように、頭を真っ白にした。
リュックの重みが頼もしかった。守られてる気がした。
足の痛みが意識を現実に引き付け続けた。
とにかく先を急いだ。足を休めず歩き続けた。
77.あたしの信じる神様
遍路後の話だが、神様について、
きちんと答えてくれた人が1人いる。
それはO先生。
大正生まれのおじいちゃん。
あたしより幼い年で徴集され、大陸へ出兵。
『最初は憎くない敵だったんですけどね、次第に、
仇討ちしなくちゃならない憎い敵になりました。』
次々に見方が敵に殺される毎日に、
やり切れぬ思いが、敵への殺意となったそう。
『敵も同じなんですよ。
仲間が殺されるから、我々に殺意を抱くんです』
互いの嘆きは同じでも、手を止めることは出来ない。
だって戦争。上の命令は絶対だから。
人も殺めたのだろうか・・・
酒の席で聞いた話。記憶が曖昧。
でも、O先生の言ったこの言葉は忘れられない。
『私の母は敬虔なクリスチャンでしたが、
あの戦争を経験してからは神を信じなくなりました』
O先生は長く唯物論者だった。
だが、ここ数年で考えが変わったらしい。
『戦争中、死を覚悟したこともありました』
捕虜になったとき。それに戦争終了直前。
終戦間際、いよいよ追い込まれダメとなり、
もはや一斉自決あるのみという切腹寸前の瀬戸際、
天皇の終戦ラジオが流れ、一命を取り留めたとか。
『私は未だに神や仏は信じていません。
でも、なにか、私を守ってくれている、
大きな存在がそばにいるような気がします。』
O先生は、“それが自分の信じる神様”だと言った。
“あたしの信じる神様もそういう存在!”
O先生の話を聞いた瞬間、すかさずそう同意。
共感できた嬉しさに、思わず声をあげそうになった。
が、言葉を飲み込む。嬉しさが悲しみに変わった。
78.説教する資格、年を重ねる意義
最近はそうでもないが、10代の頃のこと。
あたしは自分の年齢に不満をもっていた。
大人のたいていが、あたしの言葉をスルー。
幼い者の言葉は軽く、聞くに値しないようだった。
あたしにきちんと向き合って応じる大人は少なく、
その癖、説教だけは誰もが一方的に垂れた。
了見の狭い大人ほど説教が好きで、
心に響かない空々しい説教をくりかえした。
どこかで聞いたことあるような、理想論ばっか。
誰かの受け売りを、形を変えて、そのままリピート?
自分を脅かす価値観を都合よく斬り捨てるくせに。
時代は移ろうのに。価値観も多様化してるのに。
新しい考えを拒み、古い考えにしがみつく大人。
古い考えを手離すとは、自己否定。
古い考えに囚われた自分を否定することだ。
ぬるま湯に浸って自分を甘やかしてるうちは、
変化を受け入れるより、しがみつく方を選ぶだろう。
自分の拠り所であった価値観を否定することは、
強烈な打撃だと、大人は賢しく、分ってる。
だから相手を否定し、自分の意見を通そうとする。
相手の価値観を壊すことで、自分の価値観を守る。
攻撃が最大の防御とはいうけど、ずるい。
その攻撃の矛先が常に弱者に向かうんだもの。
敵わない相手には早々に白旗を振って、ね。
あたしは説教を、相手をよりよく、
変化させるために“導く”ことだと思っている。
しかし、自分の変化を拒む大人が、
子供に変化を“強いる”なんて、おかしくないか?
子供に説教する資格があるとは思えない。
年を重ねるなんて、誰にでもできる。
年長者を敬うのは間違ってるとは思わないが、
年齢が人を測る基準となるのはオカシイと思う。
じゃあ、年を重ねる意義ってなんだろう?
それは長年の経験を、知恵として育むこと。
そして知恵を託すことに、生きる意義があると思う。
79.つまらないものを見る冷たい目
結局、あたしの言葉も誰かのコピー?
なんだかんだ偉そうに言ってるが、
自分の言葉を裏打ちできる経験も実績も、
あたしにはない、よ。
ひたすら読み漁った本の断片を、
自分の知識ひけらかすように振りかざして、
自己満足を感じてるのだろうか。
根拠の無い自信は簡単に揺らぐ。
“先生には戦争の体験があった”
“じゃあ、あたしには何があった?”
“あたしはなぜ、大きな存在を神と信じるのだろう?
自問のループ。答えの出ない袋小路。
“あたし、先生に尋ねられても答えられない”
先生が問い質すことはありえないと思ってた。
そう分っていながら、躊躇して言葉を飲んだ。
頭をよぎったんだ。蔑みを含んだ視線が。
背伸びしたがる子供だったから、
目線を対等にしてもらいたくて、
物言いも大人ぶり、がんばってた過去。
言葉と見た目にギャップがありすぎて、
みんな、まともに相手にはしてくれなかったっけ。
『君にわかるとは思えないけど・・・』
そういう枕詞をつけて、いつも語りだす大人。
『まあ、君にわかるとは思わないけどね』
そうやって、いつも話を締めくくった大人。
反応して発言すれば、憐れみの視線を投げ返す。
あたしはその視線が大嫌いだった。
“この場に君の発言できる余地はないんだよ”
無言の視線と沈黙はそう語っていた。
幼いから?女だから?なぜそう決め付けるの?
気付かぬフリして言葉を発すれば、
つまらないものを見るような、冷たい目になった。
この空気も読めない君にはわかるはずないって。
80.悪評の善根宿リスト
9時30分、小松大師を通過。
足の裏がじんじんし、歩くより休むほうが辛かった。
短い休憩で痛みが引くわけでもなく、
再び歩こうとしても調子を戻すのに時間がかかる。
だが、肩こりだけは我慢できない。
小松大師の斜め向かいの商店、
“おかざき”の店の前にベンチがあったので座る。
遍路初日なら地べたに座っても平気だったが、
そのうち段差がないと、立ち上がったり、
リュックを背負うのが困難になっていた。
休憩後、再び歩きだす。
寂しい道が少しずつ賑やかになった。
牟岐の町中に入ると自転車さんに再会。
早朝に行き会った健脚さんと同じく、
自転車さんもバスを改造した善根宿に泊まったという。
『快適でしたか、、、あたしも泊まりたかったです』
そう言ったら善根宿の一覧表を見せてくれた。
善根宿とは、無償で宿泊できる場所(施設)のこと。
個人宅、通夜堂、公共施設などA4用紙2枚に、
びっしりと情報が網羅されたリストだった。
善根宿が一覧となったリストの存在は知っていた。
一部では、評判の良くないリストだった。
このリストが出回るようになって、
ただでさえ少ない善根宿が次々に閉鎖したという。
宿泊希望者の増加、それによるイザコザの増加。
住みつく職業遍路等、閉鎖を余儀なくされるとか。
リストそのものは善意から作成されたものだろう。
似たようなリストを泊まった宿でも頂いた。
『これから四国を訪れるお遍路さんに役立てて・・・』
そんな意図から作成されたと宿の方から伺った。
だが、この善意が仇となる場合もある。
それまでなら口伝えで得られた善根宿の情報。
記憶に頼る情報は曖昧で、伝わる量もわずかだ。
しかし紙に記された情報となれば大量の情報が、
全く同じ複製として簡単に手渡されるようになる。
1枚が2枚に、2枚が4枚に。大量のコピーが出回る。
そして善意が媒介となるからその勢いは止まらない。
81.小さな親切、大きなお世話
“小さな親切、大きなお世話”
必ずしも、自分にとっての“良いと思うこと”が
相手にとっての“良いこと”であるとは限らない。
自分では相手を思いやる気遣いだったのに、
相手には迷惑以外のナニモノでもなかったり。
気持ちのスレ違い。
頭を抱えるのは、親切する側はたいてい、
渦中にそのスレ違いには気付かないこと。
決定的に関係がギクシャクしてから過ちに気付く。
ふり返って、相手の戸惑いの表情に意味を見出す。
相手が浮かない顔したら親切心だって萎えるもの。
途中で気付かないから、そのまま世話を焼くのだ。
分別のある人間なら、相手の親切心に気付くから、
“大きなお世話”に対して強く拒めない。
とゆーか、気弱な人だからお節介される現実。
最初の段階で『嫌だ』と意思表示すればいいのに。
親切心を思っては、お節介を断れずにズルズル。
ズケズケ言う人に世話焼く人はまず、いないのに。
親切への感謝、お節介への不快。
その狭間で勝手に右往左往して息詰まり、
たいてい苦言も呈せずに去ってゆく。
いわゆるイイ人が陥りやすいパターン。
相手を本当に思いやるなら、あえて言うべきなのに。
相手と向き合っているなら言えるべきことなのに。
何事も穏便にトラブル回避。
これって一方的な拒絶だって気付いてる?
お互いが分り合う絶好のチャンスを、
『トラブルも言い争うのも嫌だ』と拒んでるって。
そこまで関わりたくないっていう拒絶でもあるって。
イイ人ぶってる自分に酔っては、
嫌な奴、ダメな奴、分ってないと相手をおとしめる。
『なぜ分ってくれないんだ?こんな簡単なこと』
気持ちを告げないばかりに起ったスレ違いなのに。
いつの間にか相手を非難するだけの自分がいる。
自分は相手に何をしただろう?何もしてないのに。
82.飢えたギラつき
“気付いてる”とか“わかってる”とか、ウルサイ。
だからナニ?そんな役にも立たないこと言うなよ。
理解されてたって、何もしてくれなきゃ意味がない。
欲しいのはそんなものじゃない。満たして欲しい。
『キミ、そんなにギラギラしてたら採用されないよ』
大学卒業を控えて就職活動してるときに言われた。
顔見知りの呟き。遍路に出る一年前のことだ。
とくに親しい相手でもなく、話題に窮し、
芳しくない就職活動の状況を話したときだった。
『そんなにギラギラしてますか?』とすかさず質問。
向けられていた無心の黒目が印象的だった。
あたしにも人の瞳の奥を覗き込む癖がある。
目を見て話すから信用できると言う人もいれば、
見透かされる感じが嫌と視線を避ける人もいた。
でも、覗き込まれる体験は少ない。
そもそも目を見て話す人自体、少ない。
目を見て会話しても、身がそぞろでは伝わってくる。
純粋にそのまま相手を直視するのは一番難しい。
どうしても自分の感情が間に挟まり、目を曇らせる。
だから、ただ見られると違和感から気付く。
『この人きちんと向き合ってくれてる』って。
感情の匂い、色もなく、温度のない空気。
居心地は悪いが、独特の緊張感がたまらなくいい。
音が空気を伝うのがわかる。声が皮膚を突き刺す。
冷たさも痛みもなく、事実の響が肌を伝う。
ゾクゾクする刹那の一体感があるが、
甘美でもなければ、ハマってとろけたくもならない。
瞬間でしかないのに永遠を感じる。
無形の言葉に、形を感じて、存在を確信する感覚。
その自分の感覚を信じられる自分でよかった。
自分を信じられない人間は幸せにはなれない。
信じられない自分を言い訳にして、逃げるから。
『最初から無理だったんだ』『自分1人じゃ出来ない』
1+1=1っていう人間関係なんてイヤだ。
それって、0.4+0.4=0.8≒1と同じ。
二人集まってようやく一人前なんてツマラナイ。
どうせだったら、1.4+1.4=2.8≒3がいい。
一人で生きていくんだ。強く、強くなりたい。
自分を追い詰めることで強さを確認していた。
『あたしはまだ大丈夫』強さにギラついてると思った。
でも違った。飢えてギラついてたらしい。
83.真剣も深刻も無縁、そうでしょ?
枯渇するほど、心の飢えに無感覚となった。
不満でいっぱいだったが、飢えることは当たり前。
普通はそういうものだろうと思って納得してた。
不思議と自分と似たような人間が集まる。
満たされない不満顔、目だけ異様にギラついてる。
渇望してるのに何を求めてるのか分らない状態。
沈黙が支配しても、空気を伝って訴えかける。
“イラナイ。必要ない。消えろ。壊してしまえ。”
『テストを受けたくなくて、やった』
通っていた中学が放火されたときの実行犯の動機。
同じ中学に通う女子2名による犯行だった。
1人とはよくツルみ、1人とは小学校から知る仲。
未成年だったので名前は公表されなかったが、
身近に居ただけに、騒々しい物々しさから知った。
いつものように繁華街を友人と2人、ブラブラする。
数人の男たちが「こっちにいた」と近寄ってきた。
友人に警察の身分証を見せ、「任意だから」と、
近くに止められた車で警察署へ運ばれた。
逃げ場のない任意。あたしも一緒についていく・・・
事件の翌朝、連絡網の電話が鳴った。
「全校集会を開くから登校するように」という内容。
母親が無断欠席・遅刻・早退をくり返すあたしに、
『今日はきちんと出席しないと疑われる』と言った。
つまり、今日はきちんと学校に行けっていう命令。
滅多にないイベントに気分は高ぶり、素直に従う。
高校受験が一段落した雪の舞う白い朝だった。
燃やされたのは職員室。結局ボヤで済んだらしい。
現場を覆ったブルーシートがくすんだ景色に鮮烈。
“やっぱ、来てない”全校集会後に下駄箱に直行。
見つからなかった友人達の上履きは入ったまま。
胸騒ぎが警鐘に。愉快な気分が吹っ飛んだ。
時間短縮された授業を終えるのがもどかしかった。
家に帰らず友人宅に急ぐ。否定して欲しかった。
『犯人じゃない。やってないよ。』そう言うよね。
『絶対捕まるのに犯人も馬鹿だよね』そう笑うよね。
“退屈しのぎの話題には最高”そうに違いないよね。
真剣も深刻もあたし達に無縁。そうだよね?
84.遍路に望む、沈黙の共有
自転車さんの瞳には懐かしさを感じてた。
射抜くような鋭さがあるのに、空虚さが漂う瞳。
それは以前によく目にした瞳に似てた。
自分を含め、他人を信用していない瞳。
家族の愛情すら信じられず、友情にも疑心暗鬼。
以前はそんな瞳の持ち主ばかりに囲まれていた。
互いに相手を試してばかりいた10代だった。
一体、自転車さんは何を抱えているのだろう?
“自転車さんには何かある”
初めて会った21番太龍寺、
目が合った瞬間からそう思っていた。
遍路に満たされずにいた何かが囁く。
『知りたい、とにかく、待つしかない。』
歩き遍路の毎日は苦しかった。
“なぜ自分は歩いてるのだろう?”
“歩くことに何の意味があるのだろう?”
“歩いたって何も変わるわけがないじゃないか。”
去来する訴えは日に日に気持ちをブルーにした。
しかしそれ以上に気持ちをダークにさせたのは、
遍路へのイメージと現実のギャップだった。
日ごとに虚しさは増し、満たされぬ不満が溜まる。
『悩める者が一縷の希望に歩く、それが四国遍路』
どこがだよ?忌々しいツアー遍路に苛立つ日々。
「なぜ遍路しようと思ったの?」ウザい質問ばっか。
ツアー遍路の全てを否定するつもりはないが、
ズケズケと質問できる無神経さには腹が立つ。
悩みを抱える者同士なら沈黙が質問であり答えだ。
何も言わずに通じ、分かり合える。そして励ます。
悩める者なら他人の好奇心の煩わしさを知る。
だから気になっても相手が語りだすまで沈黙する。
これって悩む者なら当然わかってることじゃないか?
暗黙のルールが分らない相手に心を開く訳がない。
赤の他人だからこそ言える悩みではあるが、
デリケートな感情を無視する人間には話したくない。
親切ぶったお節介、好奇心満たす見返りを求める。
沈黙の共有こそ、遍路に求めた全てなのに。
人との関わりを断ちたいがために遍路に来たのに。
遍路初日に見つけた意識調査アンケートへも、
『縁切り』と、遍路の動機を書き記した。
他人に、家族に、干渉されるのはもうウンザリ。
85.脱皮には苦痛が伴う
遍路以前から、確固たる自己は認識していた。
飼い馴らすのに苦労しただけに確かに存在する。
探す必要はない。だから自分探しの旅ではない。
将来へ通じる歩むべき道を探しに四国を訪れた。
空海が開眼した四国。あたしも何か、見つけたい。
360度に広がる海原の、どの方角にも将来はある。
でも、あたしが進みたいのはどの方角なのだろう?
何処に行きたいのか?何を求めているのか?
“なあなあ”に生きるのはラクかもしれないし、
皆が歩む道に従えば安心と安定にありつけるかも。
でも、それってあたしにとって本当に幸せだろうか?
▲東南東だって、北北東だって、それぞれの未来があるわけで。
むしろ、聞きなれない方角のが凄そう。
自分にとっての幸せ。それって何だろう?
自己を認識しても自己理解はしていなかった。
押さえ込むのに懸命で欲する先に無頓着だった。
抑圧に必要なエネルギーと発生するストレス、
その処理だけで手いっぱい。頭も回らなかった。
だが、体は正直で、したくないことは拒絶した。
子供が自己理解に内省する重要な時期、思春期。
親は子供の突然の反抗的な態度に気を揉むが、
発育上は、手を焼くほど比例して子供は飛躍する。
自力で心の靄を切り開けた子供ほど逞しくなれる。
そしてそれには、反発や抵抗が必要不可欠だ。
例えば、視覚を通じて物体を認識するとき、
人間は光の反射率によって物体の色や形を知る。
物体は性質に応じ特定の光の波長を拒み、反射。
その反射した波長が人間の網膜に届き、色を知る。
つまり、反射という抵抗があって色を認知し、
色が平面に映った“モノ”を三次元に再構築する。
▲二次元の網膜で得た情報を、三次元の物体へと脳内変換。
抵抗なくして“モノ”を正しく見ることはできないのだ。
そして“見る”だけでは“モノ”を正しく認識できない。
見て想像した感触と手にした感触が違うこともある。
勘を過信するよりも、実際の感触こそが全てだ。
自分を過酷な状況に追い込むこと。
逃げ道を塞いで、あえて状況を切り開かせること。
脱皮には苦痛が伴う。果たして自分に耐えれるか?
躊躇してはダメ。とにかく突っ走るしかない。
抵抗を感じてしか自分の弱点は気付けない。
問題点が分らなければ改善することさえできない。
『このままの生活じゃ自分の道は見つからない』
じゃあ、このままの生活から抜け出そう。
問題点さえ知ったら、後は逆を攻めればいいんだ。
弱点にくよくよするのはマイナス思考だが、
問題を生かすための弱点探しはプラス的行動だ。
86.白装束と遍路不信
四国遍路は名前通り4つの国(県)から成り立つ。
遍路の最初の国、徳島は発心の道場といわれる。
発心とは、「発菩提心(はつぼだいしん)」のこと。
本来、仏道に入って修行するという意味を持つが、
“思い立つ”として日常的には使用される。
発心の徳島、その最後の寺が別格4番鯖大師。
この寺の前後の思い出は強烈に焼きついている。
つごう27ヶ所目のご朱印は、涙の味がした。
牟岐の町中で再会した自転車さん。
八十八ヶ所霊場と別格二十霊場に加えて、
三十六不動霊場も周っていた。
前回はあたしと同じ108ヵ所参りをしたといい、
別格念珠を集めて作る数珠を腕にかけていた。
猜疑心の強そうな目からは違和感を感じるほど、
自転車さんは信心深かった。冷たさの伴う頑なさだった。
「トンネルの中で、後ろからきたトラックに煽られて、
自転車が転びそうになったことが何度かあるんや」
もし、倒れていたらトラックに巻き込まれて死んでた。
だからお大師様に守ってもらったんだと言う。
熱心にお経を唱えるのは、そのお礼を兼ねて。
あたしもナルホドと頷く。が、雲行きが怪しくなった。
「きちんと白装束も着ないで寺に入るなんて、
葬式に普段着で行くようなもんや。礼儀がない。」
「金剛杖にしたって途中で拾ったタダの棒やろ?
それじゃあ、お大師様のご加護はないね。」
わけがわからなかった。
なぜ、そんな酷いこと言われなきゃならないのか。
確かに格好は正しくない。でも想いはちゃんとある。
気持ちがあっても見た目に分らなければダメなの?
逆に言えば、身なりさえキチンとしていれば、
内容が無くてもかまわないってこと?
ずっと渦巻いてた遍路不信が疼きだした。
キチンとした人ほど、お接待を期待してる気がする。
白装束に金剛杖、傘、頭陀袋。演出の小道具たち。
物乞いをする気はさらさら無く、飢える訳でもなく、
余裕がある癖に、どうぞと言われては合掌して頂く。
お接待の質や量を自慢しあっては一喜一憂して。
お接待は、お遍路さんに施すのではなく、
お大師様に施しているのだから断ってはいけない。
納得できなかった。善しとしない事は受けたくない。
顔で有り難がるそぶりをし、心で舌打ちされたいか?
その場で断る方がお接待する側も気持ち良くない?
それとも欺瞞によってお接待は成り立つのだろうか。
■道場とは
四つの国(県)から成る四国。
それぞれの国ごとに道場が割り当てられる。
徳島-発心の道場(思い立ち、修行に入る)
高知-修行の道場(行いを修める、善行積む)
愛媛-菩提の道場(目覚め、悟る)
香川-涅槃の道場(偏見からの解放、自由)
■三十六不動霊場とは
不動明王を本尊とする寺(霊場)を巡る旅。
八十八ヶ所・別格二十霊場と、多く重なる。
寺ごとに童子玉や不動玉が売られ、
全部巡って集めると開運胸飾守になる。
この他にも四国には、
三十三観音霊場、奥の院、などがあり、
マイナーになるほど至福感が高まる傾向が。
87.優しい、死んでる言葉
厳しい視線に威圧され反論もできないまま、
牟岐の町を抜ける手前で自転車さんが離れていった。
「寄る寺があるから」と言い、牟岐の警察署にある、
無料のお接待所に立ち寄ると良いと勧めてくれた。
10時35分、半ば放心状態で牟岐の警察署に着き、
外に備えられたベンチに座り込んで足を揉んだ。
ひどく、酷く疲れた。何が正しくて、何が間違いか。
そもそも正否を問えるテーマじゃないのは確かだ。
白装束に意味を持ち出すのは人なのだから。
それぞれの主観によって答えは変わる。しかし。
それにしても、久々に胸が締め付けられる気分。
こういう痛みとはサヨナラしたはずなのに。
“あたしはまだ、弱すぎる。もっと強くならなくちゃ。”
こんなことは些細なこと。気にしてたらキリがない。
泣いて事態が変わったとしても、評価は下がるだけ。
泣けば済むと思う“面倒な子”と位置付けられる。
自転車さんから厳しく非難された一件から何かが変化。
白装束の着用に関しては納得できず譲れないが、
自転車さんという人柄、人間には好感を覚えた。
白装束の着用について、お小言はよく頂戴した。
そのたびに「そうですね」と軽く流せたのは、
聞くに値しない、世間の物差しから出た言葉だから。
世間知らずに嫌味の一つでも言いたい、って感じ?
自転車さんの言葉に感じた熱は無く、死んでる言葉。
そして感情のない死んだ言葉は世間に蔓延ってる。
オブラートに包み優しく諭そうとする人間は多い。
表面を気にし、世間を押付け、死んだ言葉を吐く。
初めこそ世話焼きに熱心だが、すぐ態度を変える。
懐かないとわかれば見捨てる。陰口を言い出す。
終いに「ああいう子は何言ってもダメ」と結論付け。
本音を出さない人間をどう信用しろと言うのだろう?
そうした人の白装束着用への手口も巧妙だ。
導入は決まって“私はあなたの味方”から始まる。
「白装束も傘も杖も、別に決まりって訳じゃないし。
自分の納得するようにしたほうがいいと思うよ。
だけど、遍路をするなら普通は遍路装束だよね。」
結局、白装束を着ろって勧めてるんじゃないか。
88.世間じゃなく、あなたが許さない
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。
これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、
とばかりに思ってこれまで生きて来たのですが、
しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、
堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)汝は、汝個人のおそろしさ、
怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性をしれ!
などと、さまざまの言葉が胸中を去来したのですが、
自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗、冷汗」と言って笑っただけでした。けれども、その時以来、自分は、
(世間とは個人じゃないか)という、
思想めいたものを持つようになったのです。
太宰治『人間失格』より
「人間の隠された本質的な悪」
「善人の、世間人の皮を被った悪人の本質」
大きな悪より、日常に潜む些細な悪の方が根深い。
本人にとっては当たり前の普通のことなのだから。
太宰治は世間の評価を生涯求め続けた。
人は一人で生きれない。理解示す他者が必要だ。
受け入れてくれる他者がいて、初めて、満たされる。
だが、彼は近しい者にそれを感じられなかった?
自分への存在価値を与える他者がいる限り、
人は自殺など、できない。できるはずがないのだ。
自分の存在が他者にとって負担でしかない、
この世に居ても居なくても構わない存在でしかない、
そんな思い込みから、無気力が生きる意欲を蝕む。
太宰治の作品は自己投影が濃い。
彼は「世間」という言葉を疎みつつも、
満たされぬ渇きを癒す場所として「世間」を意識。
しかし、彼には妻子や愛人、友人もいたのに。
人の心は移ろう。変わることのない絶対的な証、
「芥川賞」への執着は不変を求めた結果だろうか・・・
89.見返りなしのバス遍路
12時ちょうど、別格4番鯖大師へ到着。
タイミング悪く参拝を済ませたバス遍路の団体と、
寺の入口付近で遭遇する。別格札所では珍しい。
八十八札所から大きく外れて位置する別格札所。
遍路道からも外れる上、場所も辺ぴなところが多い。
そのため八十八ヶ所にはない清閑な雰囲気がある。
寺には人の気配がなく、自分1人のはずなのに、
ひっそりとした中、ふと、振りかえる瞬間があったり。
喧騒の寺が増す中で荘厳な空気を保ってる感じ。
と、思えば住宅地に埋もれ一体化してるような寺も。
そのギャップの激しさもまた別格の魅力だったり。
別格の場合、道標が少なく、地図もあまり使えない。
寺に辿り着くことすら困難で愚痴ったりしただけに、
別格の思い出だけはどれも鮮明に焼きついてる。
さて、鯖大師と14番椿堂は遍路道沿いにあり、
別格を周っていない歩き遍路でさえ立ち寄ることも。
次の別格5番大善寺は遍路道から1km程ずれるが、
「歩きのお遍路さんはよく見かけるんですけど、
立ち寄られる方は滅多にいないんです」と聞いた。
「鯖さんほど遍路道に近いと寄られるのでしょうが」
しかし、それは歩き遍路の場合。バス遍路がなぜ?
地図を見ると分るが、鯖大師が位置するのは、
八十八札所の23番薬王寺と24番最御崎寺の間だ。
23番と24番の距離は国道進行で75.5kmとなり、
途中にある鯖大師は休憩の場として恰好のようだ。
「あら、その杖!さっき道に座り込んで、
自転車のお遍路さんと話してた子でしょ。」
「ホントだ、その杖。バスの中から見てたのよ。
変わった杖を持ってるなーって。みんなで」
「それにしても歩くの早いね。追いつかれるなんて」
バス遍路のおばちゃん達に捕まってしまう。
だが、不快ではなかった。嵐のように過ぎ去って、
ふと気付いたことは、“質問されなかった”だった。
遠くで手を振るおばちゃん達、手を振って見送る。
ずっと否定してたバス遍路。嫌ってたのに。
声をかけて貰えたことが、なんか、うれしかった。
自転車さんの言葉に落ちてた気持ちが軽くなった。
何か優しい、温かいモノが、あたしに残った。
質問する人が、自分から投げておきながら、
やっぱり返してと奪っていく、ある意味大切なモノ。
与えられただけで、持ち去っていかなかった。
90.弱さを隠すための強さ
瀬戸際まで切り込める人には、警戒したい。
突き動かすのは愛情か?その愛情は本物か?
このときばかりは人に対し無関心でいられなくなる。
社会的な居心地の良さは適度な距離感がポイント。
愛想のよさ、親しみやすさ、裏を返せば、
どこかで線を引いては壁を作って関係を拒んでる。
親しくなりすぎれば情が仕事をやり難くさせたり、
親しくなければお互いが疎みあったり。
そう普通に考えて、
円滑な人間関係を送るための防御壁を壊すとは、
つまり、瀬戸際まで切り込んでしまうというのは、
今まで円満だった相手との関係が一転して、
居心地の悪い関係に陥る可能性もある行為。
なぜ、快適さを捨ててまで切り込むのだろうか?
円満、何をもって人間関係を円満と呼ぶのだろう。
周囲から持ち上げられ、おだてられるのが円満?
世間体を考えて維持するだけの家庭が円満?
本音を殺して、愛想笑い浮かべて作るのが円満?
犠牲が伴わなければ得られない円満って幸せ?
しかし、犠牲者を気取るうちは永遠に犠牲者のまま。
自分から犠牲者の枠に囚われ志願してるだけだし。
不幸に酔って、誰かが何とかしてくれるのを待つ、
そんな他力本願が叶ったとしたら、それも不幸。
結局、誰かを当てにしなければ生きれないわけだ。
人は弱い。だから支えあって生きていく。
一人では生きられない。だが、強くは生きられる。
弱さに甘えることもできるが、強くも生きられるんだ。
強く生きられるのに甘えて生きるとは、弱さにあぐら。
甘やかすほど弱さを助長し自分のためにならない。
じゃあ、求めるべき強さとは一体なんだろうか?
瀬戸際まで切り込む人。そこに愛情があっても、
痛がる姿を見たいと、あたしを傷つける相手もいた。
そんな相手にはどんなに辛くても強がりたかった。
痛がれば余計に面白がって悪循環に陥るだけだ。
だからあたしは、弱さを隠すための強さ、
悠然と微塵にも痛みを感じない強さ、欲しかった。
91.山賊のでる遍路道
牟岐の町中で別れた自転車さんとは、
その後すぐ、鯖大師に着くまでの間に何度となく、
追い抜き、追い抜かされたりして、顔を合わせた。
そのたびに声をかけ合っては短い会話もした。
「さっき寄った寺でお接待されたんや。ほら。」
缶コーヒーを差し出されたが、遠慮しますと断る。
「甘いのが苦手なので、飲めないんです」と言い訳。
実際、甘い菓子や果物に飲料は受け付けない。
するとエビセンもお接待されたからと差し出され、
「もーいいですよー。気持ちだけ頂いときます。」
そのとき笑ったら、自転車さんの表情が緩んだ。
ああ、この人、一応は気にしてくれてたんだ。
「礼儀がない。」「お大師様のご加護はない。」
ただ辛辣な言葉を浴びせたかった訳じゃないんだ。
少なくとも嫌って投げつけた言葉ではないみたい。
でも、言葉にこもってた温度は熱かった。なぜだ?
缶コーヒーとエビセンのお接待を丁寧に断ると、
自転車さんは自転車に乗り、先へと、見えなくなった。
牟岐トンネル、八坂トンネルと抜けると海が表れた。
内妻トンネルの脇、目あき大師手前で自転車さんに会う。
旧土佐街道への歩き遍路道が林の間に見えた。
(詳しくは掬水へんろ館『旧土佐街道のへんろ道』へ)
「あ、地図にはない遍路道だ。行ってみようかな。」
すると自転車さんは急に真剣な顔して、止めとけと言う。
「あの道は山賊が出るんや。」
「は?山賊ですか?」とあたし。
山賊って、いつの時代の話だよ?
自転車さんが言うには、以前その道でこんなことが。
歩きのおばさん遍路が一人、その道を通ると、
突然、木の裏から凶器を持つ男遍路が現れ、
『持ってる金を出せ』と脅された。言われるがまま、
所持金を全部渡し、命からがら鯖大師まで逃げた。
「ほんとですか?」
自転車さんが嘘ついてるようには見えないが、
嘘を事実と信じ込んでる可能性はある気がした。
「おばさんだから、お金だけで済んだけど、
若い子ならそれだけじゃ済まないかもしれん。」
92.詐欺師に騙されないためには?
「でも、暖かい季節や遍路シーズンならともかく、
この寒い時期に来るか分らない歩き遍路を、
木の影で待ってますか?いなそーな気がする。」
遍路相手の詐欺師は遍路シーズンに最も活躍する。
遍路シーズンといえば、気候の穏やかな春と秋。
太陽がギラつく夏と、雪の積もる冬は人気が落ちる。
無味乾燥な遍路に花や紅葉が彩りを添える季節に、
初々しい白を着た“お遍路さん”が道に溢れかえる。
遠くから見れば足取りで、近くなら装備で、
初心者か、遍路に慣れた者かの区別がつく。
グループより一人、男性より女性、車より歩き、
そして懐が豊かそうな人が詐欺師に狙われやすい。
キョトキョトしたり、もたつく足取り、消沈した表情、
声をかけやすい雰囲気を出せば恰好のカモだ。
特に遍路の始まりとなる徳島県は事件が頻発、
遍路初心者が多く、詐欺師も働くのがラクみたい。
寺と寺の距離も短く「次の寺まで」と同行しやすいし。
そのため注意を促すポスターが寺にも張られる。
顔写真、背格好や口癖、近づく手口が記載された、
慣れない遍路初心者へ詐欺師情報を知らせる。
手口といっても特別な方法を使うわけではない。
さりげなく親しげに近づいてくるのだろう。
同行するうちに気持ちを許してしまい、被害に遭う。
遍路初心者とはいえ、それなりに目は肥えてる。
いかにも怪しげな人物に気を許すはずがない。
自然な信頼感を与える詐欺師だから成功したのだ。
確かに一人で歩けば、やり切れない寂しさも起こる。
道が分らずオロオロしたり、夕暮れに慌てたりもする。
だが困ったときこそ誰かを待ってはつけ込まれる。
そうした状況で手を差し伸べる人間には二通り。
見かねて心配、親切心から声をかけた善人。
もしくは、カモを見つけたとほくそえむ悪人。
自分から助けを求められる強さが旅には必要だ。
しかし謙虚な強さが必要であって強引さはいらない。
“我道を行く”のと“我を通す”とでは、中身が違うし。
自分で判断して、自分から近づいた相手なら、
近づいてきた相手よりも騙される率は低いだろう。
騙されないためには自分が主体的にならねば。
93.癖で防ぐ置き引き
結局、あたしは旧土佐街道は見送ることに決めた。
後味の悪い話を聞かされたせいではあるが、
そんな話を偶然聞いたことに“縁”も感じたからだ。
この話が虫の知らせで何かが起こったとしたら。
結果が何も起こらなければ、それは良い。
でも何かが起こったとしたらイヤ。それは楽しくない。
結論は明瞭。心躍らない危ない橋は渡らない。
確率的に最も何も起こらないのは国道を歩くこと。
だから、遍路道は見送って騒々しい国道を選んだ。
自転車を引く自転車さんと一緒に内妻トンネルに向かう。
「あ、サルだ。」トンネルの上に動くものを指差す。
その時の、自転車さんの虚を衝かれた顔が忘れられない。
表情は堅いが、感情が素直に表れる人だった。
自転車さんからは他にも聞かされたことがある。
「例え寺だとしても、安心できん。要注意や。」
「え?」
どうやら置き引きの話ではなさそうだ。
置き引きとは、車中や待合室などに置いてある、
他人の荷物を盗んで持ち去ること(辞典より)。
小さくない寺の境内で何度かあたしも見てるが、
大きなリュックがベンチにちょこんと乗った風景、
周囲を見渡しても持ち主らしき人はない。
人の往来はそれなり。これで盗まれたら自業自得。
そもそも、荷物を置きっぱなしにして参拝する、
その癖が身についた時点で危ないと言えるだろう。
小さい寺だとしてもだ。癖になると治すのは難しい。
悪癖より良い癖を身に付けたい。とすると、
置いた荷物に不審者が触ったときに近寄れる距離、
なるべく肌身離さずリュックを持ち歩くのがベストだ。
あたしの場合、パソコン類の目方があって、
遍路中は慢性的な、痛みを伴う肩こりになっていた。
リュックだけはいつでも投げ出したい気持ちだった。
でも、よく考えると、投げ出すより背負う方が良い。
痛くて辛くても、盗まれる辛さよりは、痛みが小さい。
肉体的な痛みよりも精神的な痛みの方が後を引く。
それに同じ投げ出すなら、荷物を送り返したい。
パソコンは娯楽として持ってきた。一つの煩悩。
荷物を送り返すことで、執着もまた一つ減ることに。
「荷物の重さ = 煩悩の重さ」と、誰かが言った。
辛かったら返せばいい。恥じることもないし。
荷物が少ないほど、身軽なほど、欲も減るんだから。
▲国道の方が無難。冒険は違う所でしたい。
▲持ち歩く方が無難。精神的にも。
▲送り返す方が無難。修行は身軽に。
94.寺と強姦、善根宿の見分け方
「寺でも要注意って、どーゆーことですか?」
自転車さんはちょっと間を置いてから口を開いた。
「女の子に手を出す坊主もいるって話だ。」
「えっっ!」
通夜堂の用意された、とある寺の話だった。
若い女の子が通夜堂に一人で泊まったときのこと。
「ちょっと話でも」と夜中に通夜堂へ住職が訪れた。
しばらくして、服がはだけた女の子が泣きながら、
通夜堂から飛び出し、ご近所に保護されたそうだ。
事実かどうかはわからない。
が、その後、同じ話を別の人からも聞くことになる。
火の無い所に煙は立たない。“何か”はありそうだ。
それが何であるかは憶測でしか言えないが、
悪い噂が広まる下地が存在するのは確かだろう。
注目したい点は、その寺が名指しであったことだ。
単純に通夜堂に泊まることが危険という話ならば、
寺の名前まで出てくることはないはずだ。
同様に、特定できる住職の登場へも作意を感じる。
その寺、その住職に好意を抱かない人間が、
噂の広まる背景に存在することは間違いないと思う。
その寺付近では寺名が強調された物をよく見た。
過剰な宣伝も、寺を過ぎるとぱたりと途絶える。
歩き遍路へのお接待が充実している話も聞いた。
しかし、居着く職業遍路が表れないのは不思議だ。
強引な手口で先代の住職を追い出した話も聞いた。
なんだか生臭い。強い出世欲を感じてしまった。
寺と強姦。なんか、盲点だった。
清浄なイメージが先行して、現実が見えてなかった。
一度植え付けた先入観が目を曇らせることもある。
自己責任と腹をくくれる女性には言うことは無いが、
女性なら最悪の事態を色々と想定して欲しい。
自己過信は落とし穴、正しく状況を認識して欲しい。
もし女性一人、善根宿に泊まるなら以下を確認。
男女が別の部屋になってるかどうか?
内側から鍵がかかるかどうか?
近所での(善根宿の)評判はどうか?
女性遍路からの口コミは信用できるが、過信は×。
情報に対し受け身ではなく、能動的に集めること。
95.別格4番鯖大師
悪い噂が流布する寺とは逆、評判の良い寺もある。
その一つが、別格4番鯖大師。
歩き専用の遍路道にぶら下がる応援の札の文句、
「心をあらい心をみがく」に覚えはないだろうか。
鯖大師の住職さんが歩きながら設置したという。
歩き遍路の体験者だけあり、遍路に親切だと聞く。
住職の風貌は怖くて近寄りがたいそうだが、
気さくに声をかけてもらったり、「頑張って」と、
栄養ドリンクをお接待されたという話もあった。
見た目とのギャップがより印象を強めているようだ。
■鯖大師の縁起
1200年ほどの昔。
お大師様が通りかかった馬子に、
積荷の塩鯖を乞うたが、口汚く罵られた。
しばらくすると馬子の馬が苦しみだし、
お大師様へ鯖を持って非礼を詫びる。
すると、馬は元気を取り戻し、
加持によって鯖は生き返って泳ぎだした。
そこで馬子は仏心に目覚め、
この地に庵を立てて霊場とした。
(パンフレットより、要約)
鯖大師の寺の縁起によれば、
鯖を3年間絶って祈願すると願いが叶うという。
しかし、現代の我々が鯖を絶って祈願することと、
いにしえの人々が鯖を絶って祈願することでは、
同じ行いであっても、本質的にイコールにならない。
食に、バリエーションに富む飽食の今日、
鯖を絶っても口にする食べ物には事欠かない。
しかし、大衆魚として平安時代から売られた鯖は、
一度に大量に捕獲できるものの、日持ちが悪く、
安価な食料のため、庶民の重要な食料源であった。
特に鯖大師周辺を“鯖瀬”と呼ばれることから、
この土地では鯖がよく取れ、日々口にしたのでは?
黒潮は足摺岬から潮岬にかけて接岸傾向で流れ、
高知県名物である鰹も、この黒潮を北上して来る。
鰹は暖かい海を好むため日本には夏季訪れるが、
鯖は黒潮全域に生息し、やや冷たい海を好むし。
生活に密着した食品を絶つ。今日なら米か。
鯖断ちの時代背景を考えれば、そうなる気がする。
しかし縁起を読んでいると、ただ断つのではなく、
「自分にとって不要となった鯖を皆に分け与えよ」、
という教えが透けて見える気がするのだった。
本尊は不動明王。ここの護摩堂には迫力があった。
薄暗い照明の中、消え入りそうなロウソクが揺れる。
呼応して影がざわめく。空気は静寂を保ってるのに。
耳に音は届かず、肌にも空気の乱れを覚えない。
だが目だけが、ゆらゆらと移ろう炎を感じていた。
数秒後、静寂を破って聞こえた足音に我に返った。
四国霊場お砂踏みをしてる最中に発見したのだが、
鯖大師ではいつでも写経の希望を受け付けるとか。
後ろ髪引かれたが、先を急ぐと、あたしは決めた。
■サバを読む
魚市場でサバは鮮度が落ちやすいので
売るときに急ぎ、数をごまかしたことから、
というのが有力な説。しかし別説多々。
96.音を追い、跡を追う
そのしばらく前に、健脚のFさんに追いつかれ、
自転車さんと3人、着かず離れず歩く。
というより、あたしが意地になって彼らを追ってた。
自転車さんは自転車なのでペースが速いのは当然だが、
健脚とはいえ、健脚さんの歩くペースは速すぎた。
それは普通に歩いて生じるスピードではなく、
何らかの作意が感じ取れる不自然な速さだった。
つい、遍路初日の「女の足」が頭をかすめる。
男性からすると弱者である女性。だからこそ、
男性にとって女性は守るべき対象となるのだろう。
自分より弱いと知るからこそ、母が子を守るように。
しかし普通、自分に余裕があるとき弱者を助ける。
だから余裕のない者にとって弱者は疎ましい。
“健脚さんにとってあたしは邪魔?ふり払いたい?”
伝わる空気に、いつの間にか表情は硬くなってた。
歩道の横を車は行き交うが聞こえるのは足音だけ。
健脚さんの足音に重ねるようにして、あたしも歩く。
リズムがずれると間隔が引き離されてしまう。
懸命に、痛む肩を無視して、音を追い、跡を追う。
ついに、先に根負けしたのは健脚さんだった。
「休憩しよう」と健脚さんから提案。すぐさま応じる。
視線をそらしながら呟くように健脚さんが言った。
「ワザと速く歩いて、先に行こうとしたの」
“うん、知ってる”あたしは心の中で相槌を打つ。
だがすぐに虚しくなる。譲られてしまったと気付いて。
恐らく健脚さんは、あたしが無理してるのを知って、
青さゆえの強情さに、わざと折れてくれたのだろう。
健脚さんの軟化した態度に、バツの悪さを覚えた。
あたしは疎ましく思われるのが嫌で許せないくせに、
なぜ、気遣われるのは受け入れられたのだろう?
疎ましさも、気遣いも、弱者に向けられるものだ。
腕力では男性に敵わないが、女が弱いこともない。
精神的な強さに、性の違いは言い訳でしかない。
あたしは弱い対象に見られることが嫌だったはず。
となると当然、気遣いも受けつけないのがスジだ。
しかし、それではあまりに大人気ない。
97.今夜は宴会だ
目には目を。譲歩には譲歩を。
与えられたら、同じものを返したくなる。
落ち着かないから、返させてほしいと思う。
だが突然、豹変してまで愛想良く振舞うこともできない。
気恥ずかしい沈黙の中、再び歩き始めた。
15時10分、海部郵便局を通過。歩く速さはだいぶ落ちた。
それは自転車遍路さんが先に行ったせいもある。
「テントは3~4人用や、シュラフも余分にあるし」
さすがに女の子は何かあるとまずいと退けられたが、
今晩、健脚遍路さんと野宿することが決まり、
一足早く宿泊予定地へ行ってテントを張るという。
ぽつりぽつり健脚遍路さんと話をしながら歩く。
片足が痛んだ。さっき意地を張って追いかけたせいだ。
後悔してないが、これ以上の無理はよくないと判断し、
健脚遍路さんに先へ行ってもらうことにする。
「道の駅で自転車遍路さんと待ってるからね!」
手を振りながらそう叫ぶと、兎のように駆けていった。
国道55号が遍路道。その沿道に道の駅はある。
温泉だけの利用も可、宿泊施設も整っている。
「以前はここでも野宿できたんやけど」
トラブルが絶えず、ここも野宿禁止となった。
そして本当に、2人は道の駅であたしを迎えてくれた。
道の駅の芝生の上に座り込む2人が見える。
大きく手を振っている。なにか言ってるが聞き取れない。
痛む足がもどかしい。 精一杯の早歩きで近寄る。
2人でテントを張ったらしい。しばらくその話を聞く。
「あとから遊びにくればいい。コーヒーでもご馳走するわ」
自転車遍路さんが言ってくれた。
日が沈んできた。大急ぎで宿泊場所を探す。
冬は遍路が少ないので、休業してなければ、
当日の夕方でもたいがい予約できる。
さすがに17時をまわっていたので素泊まりでお願いした。
「これからすぐに伺いますので」と歩くが道がよく分らない。
散歩途中のおじいさんが案内してくださった。
民宿のご夫婦は気さくな方々で、話も弾む。
もっと話していたかったが、どうしてもテントにも行きたい。
知人が近くで野宿しているのでと理由を話し、外出。
まさか本当に遊びにくるとは思ってないだろうが。
コンビニでウォッカを買い、あおりながら向かう。
つまみも買った。準備はよし。今夜は宴会だ。
1/14.移動と宿泊
本日の移動
6:30 | ビジネスホテルケアンズ |
7:50 | 日和佐トンネル |
8:45 | 牟岐町 |
9:30 | 小松大師 |
10:35 | 牟岐警察署 |
12:00 | 別格4鯖大師 |
15:10
|
海部郵便局 |
17:35 | 民宿宍喰 |
本日の宿泊
名前 | 民宿宍喰 (0884-76-3737) |
場所 | 日和佐駅前 |
料金 | 6500円(素泊まり3000円) |
洗濯 | ? |
備考 | 歩き遍路に限り無料宿泊 |
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